見出し画像

日記:酔いと醒め

2024.06.28

五月下旬頃から、夏の匂いがし始めていたが、気づけばもう夏そのものが来ている。
春、秋、冬にもその季節特有の匂いというものがあるのだろうけれど、それらに対する私の嗅覚は鈍っていてあまり認識できない。
夏の匂いの正体は、日焼け止めの香料だったり、プールのカルキだったり、太陽の光で熱せられたアスファルトだったりする。
その中には好ましくないものもあるけれど、夏の訪れを感じさせるこういった気配には、どこか懐かしさがあって、本物の夏よりずっと好き。

--------------------------------------

昨日、森博嗣さんの『冷たい密室と博士たち』を読み終えた。S&Mシリーズ第二作目。一作目の『すべてがFになる』を読み終えたのは、昨年の10月22日だった。
『すべてがFになる』を読んだときほどの衝撃を今回感じることはなかったけど、とにかくページを捲る手が止まらなかった。《理系 × ミステリー》という枠組みで有名になっているシリーズではあるけれど、どちらについてもさほど精通していない私でも充分に楽しめた。もちろん、精通していた方が楽しめるのは間違いなくて、本文中に出てくる理論とかトリックとかを解らないまま読み進めず、ある程度理解しながら物語の中に入り込んで、天才たちと一緒に謎を解くことの趣には憧れるものがある。けれども、このS&Mシリーズが傑作と言われたる所以は、理系ミステリーとしての完成度にとどまらず、主人公である2人の天才、犀川創平と西之園萌絵のやりとりとその会話の中に見られるエレガントな表現に、誰しもが惹き込まれるからだと思う。
私は集中力が続かず飽きやすい性格なので、大抵400ページを超える小説を読む時は、内容の面白さに関わらず、なんとなく達成感を抱くことが多いのだけど、今回はそれが喪失感に代わった。三作目の『笑わない数学者』も早く読みたい。そして、森博嗣さんが紡ぐ他のシリーズの物語にも手を出してみたい。

--------------------------------------

"苦手"という言葉のインパクトは、強い。
誰しもに何かしら苦手なことはあると思うけれど、それを"苦手"だと自覚することが、さらに苦手の強度を上げてしまう、という現象。苦手なことに対して、後ろめたさを感じたり、悔しさを抱いたりすれば、その自覚は頻繁に起こりうる。そうなると、もう負のスパイラルまっしぐら。今までの私は、きっとそうだった。
だから、これからは"苦手"という言葉で安易にラベリングせずに、"不器用"ぐらいに捉えていきたい。そんなことをふと思った。
《人とのコミュニケーションが苦手》という自意識も、冷静になってみれば、問題なくコミュニケーションをとれる相手も一定数いるわけで、大抵その悩みにぶつかっているときは、そんなに知らない相手に怯えているだけなのだ。だから、コミュニケーションという大きな括りで苦手意識を持たなくても、《そんなに関係の深くない相手に対しての接し方が少し不器用》ぐらいに自覚しておいた方が、少しは健康的なのだと気づく。

--------------------------------------

6月は自分に一つのルールを課して過ごした。
お菓子購入禁止ルール。
これまでの家計簿を振り返ってみると、お菓子に使うお金が思いのほか多くなっており、金銭的にも身体的にも良くないので、6月は思い切ってお菓子を一切買ってはいけないルールを設けた。スナック菓子に半中毒状態になっている私にとっては、なかなか酷な挑戦。
しかし、なんとか成し遂げることができそうである。それは、裏ルールとして、
・人と一緒にいる時に食べるのはOK
・もともと家に置いてあったお菓子を食べるのはOK
という、割と緩めの設定をしていたからなのだけど。つまり、6月はお菓子を全く食べていないというわけではなくて、単に購入していないだけ。
しかし、購入していない分だけお菓子を食べる機会は減ったわけで、結果として、無駄な出費はもちろん、驚くほど顔面のニキビの量が減った。こんなにも変わるものかと感動している。
さて、7月はどうするか。ニキビが減ることにこんなにも心地よさを感じると思っておらず、引き続き制限していきたいと考えている一方、やはり半中毒状態なのでお菓子を食べないというストレスがなかなか耐えられるものではない。
この葛藤はなかなか収まる気配はないので、一先ずは、ピーナッツはお菓子に含まれまるのかを自問してみたいと思う。

--------------------------------------

満足をある種の諦めとして捉えるのは、あまりにも悲観的過ぎるでしょうか。
満足をすることが苦手な私は、諦めるのが下手なのです。「自分にはできない」と認めることが難しくて、悔しくて、頑張りたくて。“完璧”という領域にしか満足の着地点を置けない人生は間違いなく苦しくて、それを知っているはずなのに。きっと、その諦めを受容したところから生まれるのが幸福というものでもあって、“諦め”にも美学があるはずで、それは私の頭の中にはちゃんとあるのに、心の中にはいくら探しても見つけることができなくて。

--------------------------------------

今回、ここまで珍しくスマホで文章を書いているのは、東京行きの高速バスに乗っているからである。
やはりスマホで文字を打つことのストレスは大きい。パソコンと違って、フリック入力では親指しか動かせない。運動の束縛。
そして、操作できる画面が1つしか出せないことも苦しい。最近は書きたい言葉を思いついた時に、noteの下書きにその都度メモするようにしていて、こういった日記を書く時にはその下書きから言葉を引っ張ってくることが多いのだけど、スマホでは編集画面と下書き画面を同時に出せないことがとても不便に感じる。ウィンドウの束縛。



目の前に連なる赤信号が、同時に青に変わる時、マスクの下で噛み殺した欠伸。
まもなく、東京駅、到着。



~Today's Song~
群青日和 / 東京事変



X(旧Twitter):檸(@nei_monologue)
Instagram:檸(@nei_mono.gram)
      :檸 | 読書記録(@nei.booksdiary)
Radio:檸のひとりがたり(Spotify)
その他:https://linkfly.to/40430MeRneL

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?