拝啓 あなたへ
お久しぶりです。元気にしていますか。
今月末の土曜日の午後16時頃、そちらの方に帰省します。
実に帰省するのは8年ぶりとのこと。何か特に用事があるわけでもないのですが。
さて、あなたに今日この手紙を書いているわけを話しましょう。
まず1つ目に、あなたはその日何をしているのでしょうか。昔から10秒ほどの時間さえも惜しんでしまうあなたは今もなお、ある日には鉛筆を手にとり、ある日には料理を並べ、そしてある日には花に水をやり、またある日には鼠色のニット帽を深く被って街へと駆け出しているのでしょうか。いえいえ、そんな迎えにきていただきたいなんて言わないですよ。安心してください。あなたが齷齪と働いていることは分かっているのですから。ただ、1つお願いがあるのです。いや、正確にいうと2つお願いがあります。
1つ目は、今から言うお願いを最後まで聞いていただくということです。
せっかちなあなたはきっとこの手紙を読むことすら時間の無駄だと思っていることでしょう。すべてお見通しです。そんなあなたに向けて自分の要望を勝手に書く真似なんてわたしにはできません。ですから、まず1つ目のお願いをしたわけです。どうですか。わたしのお願いを聞いていただけますでしょうか。
ん?いいから早く話せって?
なるほどなるほど。そうきましたか。予想通りと言えば予想通りですね。時間を無駄にすることをあれほどまでに嫌っているあなたからすれば、この1つ目のお願いすらも鬱陶しく感じてしまうのですね。申し訳ないですね。ただ、これもわたしなりの配慮なのです。わたしはこう見えて人に物を言うのが苦手なのです。それは長い付き合いのあなたに対しても等しいです。許してほしいとは言いません。何にせよ、あなたを苛立たせてしまったのはわたしの1つ目のお願いのせいですからね。
では、本題に入りましょう。
わたしが帰る土曜日。あなたの家の前にいらなくなったラジカセとトイレットペーパーの芯、そして昨年のカレンダーを置いておいてほしいのです。わたしは今、あなたがどこに住んでいるのか存じておりません。だからこの手紙も遠い昔の記憶から引き摺り出した7桁の郵便番号宛に出しています。もしかすると、わたしが帰る場所にあなたはいないのかもしれない。もっと広げると、あなたはもうこの世にいないのかもしれない。もしそうであれば、この手紙を書いている時間もあなたが嫌いな「時間の無駄」に含まれるのでしょうね。生憎、わたしはこの時間を無駄にしている時間が大好きなのですがね。さて、話を戻します。あなたがこの世にいないことを想定しても仕方ないですね。あなたがこの世のどこかにまだいることを前提として聞いてくださいね。
ラジカセはいらなくなった物で大丈夫です。わざわざ買いに行く必要はありません。ただし、可能であればボリュームを38に設定した状態で置いておいてください。欲を言えば、昔2人で何度も聞いた「食パンの耳が好きな人」というタイトルをつけたカセットを入れておいていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
そして次にトイレットペーパーの芯ですが、こちらはキッチンペーパーの芯でも大丈夫です。なんせ、自分で鋏で切って短くすれば良いのですから。要するに短い筒状の物を置いていただきたいのです。それなら最初からそう言えば良いと?確かに。言われてみればそうでしょうね。キッチンペーパーでも可、という趣旨を話せばよかったですね。時間がないあなたには、キッチンペーパの芯を鋏で切ってトイレットペーパーに変身させる、その業務すらも無駄に感じてしまうのでしょうね。ごめんなさい、ごめんなさい。昔、あなたの娘がその筒に画用紙を巻いてテープで止め、その上にシールを貼って望遠鏡の如く星空を見ていた姿が今でも鮮明に残っています。その姿はわたしの憧れでした。画用紙とシールは自分で用意するつもりです。ただ、あの望遠鏡を見る限り、テープでは耐久性が心配されるようでしたので、わたしは釘を使ってみようと思います。
そして最後にカレンダーです。昨年は何年でしたでしょうか。わたしには記憶がありません。それを確かめる術はたくさんあると聞きましたが、わたしはその数多くの方法の中から「あなたのカレンダー」を選んだのです。ん?そんなことしなくても今の年の数から1を引けば良いと?確かに、わたしは今年が何年なのかは存じております。しかし、その数から1を引くという安直な考え方は確かに現在最も一般的に受け入れられている計算方法でしょうが、わたしには正しいと思えないのです。今までの年は偶然にそのマイナス1が成り立っていただけで、裏では何かアインシュタインが編み出したような緻密な数式が隠されている気がするのですね。ですから、それを「あなたのカレンダー」で確かめてみようと思うのです。もちろん、あなたが口で言っても無駄ですよ。わたしは疑い深い人間ですから。そんなの信じません。しかし、これは見方を変えれば、とてもめでたい話ですよ。なんせ那由多とある確認方法から「あなたのカレンダー」が選ばれたのですから。おめでとうございます。そして、よろしくお願いいたします。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
無駄が大嫌いであるあなたが、まさかここまで読んでくれるとは思っていませんでした。いや、もしかすると読んでいないのかもしれない。その可能性もある。しかし、この文章が目に入っているということは読んでくれましたね。いやいや、わたしもあなた自身の時間を無駄にしたいわけではありませんよ。確かに忙しないあなたの身体はもう少し布団の中で休ませてあげるべきだと思います。その布団の中で、あなたの心のみが働けば良いのです。あまり無理はしないようにしてくださいね。
ここまででも十分に長いことは承知の上で、最後にもう1つだけお聞きしたいことがあります。とても大事なことなので耳を澄まして聞いてください。
この手紙の「あなた」をあなたは誰だと思っていますか?
まさか"あなた"、つまり自分のことだとは思っていませんよね?
ちなみに「わたし」は紛れもなく、この文章を書いているわたしであります。
もう少し分かりやすい言い方をすれば、あなたにとってのあなたでしょう。
わたしが「わたし」と言う分には、絶対にわたしなのです。水が100℃で沸騰するのと同じように、これは紛れもない事実です。
しかし、わたしが「あなた」と言った場合、それは例外なくあなた自身を表すのでしょうか。この手紙を裏返してみてください。あなたの名前が書いてあるでしょう。それはわたしが「わたし」であるのと同じくらいに「あなた」を表します。固有名詞ほどこの世の中で絶対的な言葉はありませんからね。しかし、その名前はわたしがこの手紙を届けるために書いただけです。要は手段の1つに過ぎないのです。手段と言っても絶対的です。あなたがこの手紙を仮に読んでいるとしたら、それは郵便局の配達員が届けてくれたからでしょう。その配達員は手紙の名前を見て、あなたの元へ届けたのですから、やはり名前は絶対的です。しかし、本文で書いた「あなた」は本当にあなたなのですかね。
無駄な時間が嫌い。花に水をやる。鼠色のニット帽。「食パンの耳が好きな人」...。
もう一度あなたをあなたで疑ってみてください。
さて、本当に長くなってしまい申し訳ありませんでした。
寒い日が続きますが、どうかお身体に気をつけてご自愛くださいませ。
それでは、「あなた」からの返信を楽しみにお待ちしております。
わたし より
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