目的地はまだ遠く

すれ違う人の横顔に、彼の面影をみる。
あ、と思うよりも前に反射で振り返ると、誰かは雑踏に紛れていく。
いるはずがないのに。
そんなことはわかりきっているのに、諦めの悪い私の脊髄は今日も反射する。

18日になると、片道約3時間かけての小旅行をする。
15日を過ぎた頃からやや物悲しい気持ちになるのに、私はこの習慣を崩すことができない。義務なのか権利なのかエゴなのか。彼はもういないのに、彼がいた頃よりも足繁く通っているというのは、なんとも皮肉でならない。
新宿西口で買い溜めた格安切符を手に、東京駅へ向かう。見慣れた駅弁やら土産物屋をスルーして、新幹線乗り場へ向かう。名古屋止まりの各駅停車に乗る人は多いとは言えず、自由席でもそれほどかからず空席を見つけられた。後ろの座席が空いているのを確認し、少しほっとしてリクライニングする。
車窓に流れる風景は見慣れたものなのに、頭上を過ぎる看板に彼が勤めていた社名が見えて、まだ、どきりとする。
私が死に損なった分、確実に月日は流れているのに、少しの刺激で悪い冗談のようにあの日まで引き戻される。まるで走馬灯のように断片的な映像が明滅する。色はいつまでもセピアになることなく鮮やかなのに、彼の声だけが遠のいていく。
忘れてしまえば、きっと楽だとも言われた。眠るための薬も、活発すぎる脳活動を緩やかにする薬も勧められた。でも、許せないのだ。罪を犯した自分が救われることが。楽になろうとすることが。
私の思考が滞っても、車窓は一定のペースで景色を流していく。自分一人が立ち止まろうとも、世界は変わることなく流れていく。眼前にあったはずの未来も、とめどなく過ぎ去っていく。
自動ドアが開き、いつからか頻回に巡視するようになった警備員や乗務員の姿が見える。ルーチンの動きと自分を知らない人の視線に、なぜか安心する。

あの日は、夜勤に行く直前に電話を受けた。ディスプレイに表示された名前に安堵して、その懐かしい声に絶望した。洗い流すように急いでシャワーを浴びて、誰にも告げずに仕事をこなした。頭の中は凍りついたようにぎこちなくて、それでも習慣化された仕事を遂行していく身体に反吐が出た。
夜勤を終えて、上司に休みを願い出ると、傷ついたような顔をされた。余裕がなくて一礼して帰り、また急いでシャワーを浴びた。
いい歳して用意していなかった喪服と、黒くて薄手のストッキングを買いに出た。夜勤明けに浴びた朝日がなんとも眩しくて、くらくらした。
鞄も靴も、獣がだめ、金具がだめ、とどこまで信憑性があるのかわからないネット記事を読みながら揃えた。数珠を扱っているお店が近くに見つけられなくて、100円ショップでみつけたそれを手首に通したら、どうにもだめだった。いつもと変わらない流行りの音楽が流れていて、楽しそうに会話をしている人もいる。

あれは、夢だったんじゃないか?そもそも、そんな電話、受けていないんじゃないか?

夜勤明けの溶けた頭は信用ならない。このかごをそのままにして、家に帰って仮眠でもとれば、なんてことはない、明日が来るんじゃないだろうか。夢から醒めるんじゃないか。
は、と息が漏れる。そんな都合のいい明日なんて来ない。そんなこと、私が一番わかっているはずなのに。
カゴを掴み、レジへ向かう。今晩にはお通夜が始まる。

香典袋に薄墨の筆ペンで名前を書いていると、墨汁をとことん薄められそうなくらい涙が出た。感情が追いつかないのに、頭は理解しているというのか。鼻の奥がつんとして、また壊れたみたいに涙が出る。
急いで支度をしなくちゃ。そう思うのに、ままならない。頭が回らなくて、検索してもどうにもならないのに、またスマートフォンを手に取る。必要なものを書き出して、カバンに詰め込む。長い道中を喪服で過ごすのは気が引けたが、身につけないと忘れてしまいそうな気がして、とりあえず身につける。
あとは、あとは、何をしたらいい?
LINEで尋ねようとして、また手が止まる。
今日は、彼のお通夜だっていうのに。棺で眠っているであろう彼に連絡して、どうしようというのだ。自嘲気味に乾いた声が漏れる。
無様だ。どうしようもなく。
棺に入れるものが思いつかなくて、とりあえず便箋とペンを手に取る。彼が好きだったお菓子を買う。認めたくないのに認めて行動しようとする自分もいて、もうぐちゃぐちゃだ。

最寄駅へ向かいながら、新幹線の時間を調べる。約3時間。14時前には到着するはずだ。17時からのお通夜には、十分間に合う。
改札を通る。電車に乗ったよ、と連絡しようとして、また手が止まる。いっそのこと送ってしまいたい衝動にも駆られ、送信する。既読はつかない。

私鉄からJRに乗り換える。人混みにくらくらする。世界一乗降者が多いんだっけ、とぼんやり考える。
人の波を避けて歩くことにもいつの間にか慣れて、こんな時でも電車は予定通りにやってきて、予定の新幹線に乗れてしまった。
いつもは必死に読書や駅弁やら車窓の富士山やらで消費する時間が、何もできないまま、するすると流れていく。
目的地を告げるアナウンスが流れる。永遠に辿り着かなければいいのに。そんなことを思いながら、荷物をまとめる。リクライニングを倒さずにいたことに、今更気づく。

閑散とした駅に迎えに来てくれる彼は、もういない。慣れないパンプスで生家を目指す。

そこからの記憶は断片的だ。
何かお腹にいれなければ、とコンビニへ走ったこと。祖父母に訃報を伝える電話をしたこと。疎遠だった父に老いを感じたこと。離婚した両親が並んで頭を下げるのに、場にそぐわない愉快さが込み上げたこと。大人になった地元の友人が焼香に来てくれたこと。3人で布団を並べたこと。母のストッキングを買いにコンビニへ走ったこと。曇り空の中棺は運び出されたのに、翌日雨男の彼には珍しく、快晴が広がっていたこと。骨壷が思ったより重くて安心したこと。成人式の遺影が若すぎると感じたこと。布袋に移す骨が風に待っていったこと。雲をもつ戒名がなぜだかしっくりきたこと。
流れる動画ではなく、ぶつ切りの写真のように記憶している。

目的地を告げるアナウンスが響く。リクライニングを元に戻し、荷物をまとめる。
彼に似た背格好を見つけ、思わず振り返る。そこにもちろん、彼はいない。
改札を抜け、辿り着いたはずなのに、いつまで経っても私は会いたいひとに会えないままでいる。
年子だったはずの弟と、もうすぐ10の年齢差がつく。

#忘れられない旅
#自死遺族

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?