「忘れられない先生」を尊敬するあまりに、無責任な行動を
安尾先生との出会い
「忘れられない先生」を尊敬するということが、どうして無責任な行動を取るということにつながっていくのか? まあごゆるりと、私の話をお聞きください。
私にとって「忘れられない先生」とは、小学5・6年生の時の担任であった安尾(やすお)先生です。
安尾先生は、堂々たる体躯で運動万能、書をたしなむお方でした。間もなく4年生が終わろうという時に、安尾先生が私に話しかけて下さいました。
おい、容成君(私の名前)、君は5年から私のクラスになるんだよ。
小学生の頃の私は、ちょっぴり目を引く存在であったかも知れません。成績は常に学年のトップクラスで、友人たちの受けもよく、ずっとクラスの級長を務めておりました。
そんな私に安尾先生が声を掛けて下さったのは、悪い気はしませんでした。
それまでよそのクラスの担任であった安尾先生を、存じてはおりましたが、初めて声を掛けられたその時が、まあ安尾先生との出会いといえるかもしれません。
5・6年生の2年間、安尾先生からいろいろなお話を伺うにつれ、私は先生に対する尊敬の念を深めていったのであります。
尊敬のあまり、無責任な行動を
古希を過ぎた私が小学生であったのは、もう60年以上も前のこと。当時は毎月の給食費を、B5版ぐらいの大きさの封筒にいれて担任の先生に渡していました。
私が小学6年生の時でした。
安尾先生が二日連続で欠勤された第一日目のこと、級友が給食費を持ってきまして、それを級長である私が預かることになりました。
当時、教室には黒板の左隅に生徒の机に向かい合う形で担任の先生の机が置かれていました。
私は、給食費の入った封筒を、安尾先生の机の上に置いて帰りました。
翌日も安尾先生は欠勤されました。その朝登校すると、隣のクラスの担任から昨日の給食費はどうしたのと尋ねられ、私が安尾先生の机の上に置いて帰りましたと告げると、あわてて机へ駆け寄り、封筒があったので安堵してそれを手に取り、あきれ顔で私を見つめて隣のクラスへお帰りになりました。
今思えば、私の行動はまことに無責任。いや古希にして初めてそれを悟ったのではなく、先生の机の上に給食費の封筒を置いて帰った私の行動に対する大人たちの反応をみて、私の行動は無責任と言われてもしかたがないものだと学習しました。学習したのです。
なぜ、先生の机の上に給食費を置いて帰ったのか
当時、毎学期の終わりに成績通知表というものが父兄に渡されていました。そこには、学業成績とともに、責任感や協調性などの行動の評価もABC3段階で評点されておりました。私は成績優秀、人格高潔(?)で行動評価は全項目ずっとAでありました。
しかし、その給食費の一件があった学期の通知表には、責任感が初めてBと評価されました。まあ、仕方がないか。
では何故、行動評価の全項目がずっとAであった私が、初めて責任感Bを付けられるような行動をとったのか?
それは安尾先生を尊敬していたからです。
小学生の私は、安尾先生を、深く、深く、尊敬しておりました。小学6年生はまだ子供です。子供の心には、先生に対する深い尊敬の念であふれていたのです。
その尊敬する安尾先生の机の上は、神聖なる空間で、その空間を他の何者かが侵すという感覚が、私の心には全くなかったのです。先生の机の上から誰かが何かを持ち去るなどとは、考えもしない、想像もしない、まったくありえないことであったのです。だって、安尾先生の机ですよ。その机の上にお金を置いておくのは、どんな頑丈な金庫にしまうよりも安全じゃないですか。だって、安尾先生の机なんだから・・・。
これが小学生の感覚なんです。
幼い姪に尊敬されて
私には、姪や甥がおりました。(まだ生きてます。)彼女たちが幼い頃、いろいろな手品をして見せてあげました。子供達には、それが不思議で不思議でたまらなかったのでしょう。10円玉が掌の中に入って消えてしまう。それが腕を通って肩から飛び出す。その他、その他。子供達には、理解を超えた不思議な現象であったのでしょう。姪や甥たちは、私を「手品のおじさん」と呼んでいました。
姪が大きくなってから、申しました。
幼い頃は、「手品のおじさん」の不思議に全く魅了されて、あんな不思議なことができる「手品のおじさん」がこの世の中で一番えらい人だと思っていた、というのです。(爆笑!)
これが幼子の心なんです。
私は小学6年生まで、幼子でした。
大いなるものを尊敬する心
子供たちが、大いなるものを尊敬する心を培うことは、とても大事なことでしょう。(同時に、常識も必要! あはは。)
私は長ずるに及んで、武道、仙道、神道の道に入り、素晴らしい師匠方に出会うことができて、大いに人生を学ばせていただきました。
武道、仙道、神道は、大いなる存在に真向かう修行です。
その修行道の師匠方に並んで、責任感Bを戴いた安尾先生が、責任感Bを付けられたのではなく、責任感Bを戴いた安尾先生が、その後も長く私の心の中で、心の成長の栄養を与え続けて下さったのであります。
安尾先生は、今も私の「忘れられない先生」でいらっしゃいます。
大いなる存在を尊敬するあまりに、常識を学ぶことが少々追いつかずに、無責任な行動をとってしまったというお話でした。 (完)
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