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京都清水わらび餅 monna 開業

 私、門奈祐介は、5月いっぱいで9年勤めた甘味屋を退職し、独立することになりました。

独立しようと決意した経緯を書き残そうと思い、noteを始めました。
拙い文章で恐縮ですが、ご一読いただけますと幸いです。

 私が勤めていた甘味屋は、京都では有名なわらび餅のお店で、よくテレビで紹介されていました。テレビの影響は大きく、放送後にはたくさんの方からお問合せを頂きました。

 ある日、地方のご年配の方からこんなお問合せを頂きました。「凄く食べてみたいけど、足も悪くて京都まで行けないから発送してもらいたい。」本わらび餅は、通常日持ちがしない為、泣く泣くお断りしました。

その時から、事あるごとに電話の事を思い出し「出来ればそのお客様の所に行って、出来たてをお作りして食べて貰いたい」と、いう思いになっていました。
しかし、会社員である私の独断で、そのようなことができるはずも無く、心苦しい日々を過ごしていました。

 ちょうど1年前、私は突然身体を壊し、呂律が回らなくなり病院を受診しました。病院であらゆる検査を行いましたが、身体には異常なく自律神経失調による言語障害という診断でした。現在もリハビリに通っていますが、未だ呂律は回りづらく、思うように人と話せない状態です。自分ではすぐに治ると思っていたのですが、症状は一向に良くならず、勤務中に上手くコミニュケーションが取れず、お店やスタッフに迷惑をかけていのではないかと焦っていました。

どうにか良くならないかと、医療関係の友人に連絡をとり相談しました。友人は「すぐに会おうと」と、食事に行きました。その友人と家族の事、仕事の事、色々話している中で「門奈は将来どうしたいの?」と聞かれ、その時ハッと地方の年配の方からの電話を思い出しました。
その事を友人に話すと、「じゃあ門奈が地方に届けらるわらび餅を作ったら?」と提案されました。

それから数ヶ月、私は家族の事、会社の事、いろんな事を考えましたが、「一度きりの人生、みんなに喜んでもらえる私にしか作れないわらび餅を作る」と決意しました。

 前職では、泣きながら喜んでわらび餅を食べてもらったり、笑顔で美味しかったと喜んで頂いたり、和菓子に出会い、最高の経験をさせて頂きました。この経験を活かし、全国の人に届けられる最高のわらび餅を作っていこうと思っています。

これからは「和菓子で全国、世界に笑顔と幸せを届ける」を理念に掲げ、日々精進していく所存です。

若輩者ではございますがどうぞ皆様、応援のほど宜しくお願い致します。

門奈祐介


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