季節の色はゆかり、ことの繋がりもゆかり


普段のお散歩コースでは、野生の草花で季節を感じることもできます。
彼岸花、水仙、たんぽぽ、シロツメクサ…
いまはアヤメが、凛と美しく咲いているのを見かけます。
五月の風で優雅に揺れる花々は、誰に手入れをされなくとも毎年開花する、という生命力まで見せつけてくれます。


さて今回は、第二子出産時、癒着胎盤により子宮摘出を余儀なくされ、30代半ばを迎える前に子宮を失ったわたしの私生活が、いままでとどう変わったかのお話です。

まず前提として、出産時に癒着胎盤だったというだけで、わたし自身は健康そのものです。
様々な理由から、若くして子宮、または卵巣を摘出する女性は実は皆さんが思っているより多くいます。
というのも、わたしの勤務先がとある病院の産婦人科病棟で、それはそれは、様々な女性がいらっしゃいます。出産に関しても、リアルに「コウノドリ」です。
ただ患者様のお話を例にするわけにはいきませんので、本文は「健康ではあるが子宮を摘出したわたしの場合のお話」、と受けてお読みいただければ幸いです。

子宮の無いわたし、30代。何が変わったか。


まず、第一に。生理がない。
そう、あの。
毎月の(受精卵が着床するため子宮内膜に血液をこさえ、それが古くなると体外へ排出される)あの、出血が。も う 一 生 な い !
これは正直なところ…めちゃくちゃいいです。
暑い日も寒い日も、雨の日も風の日も、体調の良し悪しなどもお構いなしに、毎月訪れる出血。それにより左右されるフィジカルとメンタル。
それと完全に無縁になれたことは、とにかく快適でうれしいです。手放しで大喜びです。

じゃあ、更年期障害になっているのでは?と、思われるかもしれません。わたしも第二子分娩後分娩台にて、出てこない胎盤と格闘中の担当医に「子宮摘出の可能性もある」と言われて一番心配だったのはその点でした。
しかし実は、女性ホルモンは卵巣由来なんだそうです。
当時の医師、助産師全員に、「女性ホルモンなら大丈夫卵巣残るから!」「女性ホルモン出るから!更年期障害はまだ先だからね!」と励まされ?ました。子宮は、本当に胎児のためだけの臓器だと教えてもらいました。

しかし卵巣が残るが故に、実は排卵はしているらしいです。
だから排卵期の女性ホルモンに起因する心身の変化は、多少なりあるかもしれません。今のところ自覚はないです。
そして排卵された卵子は、自然と体内に吸収されるそうです。
ついでのおまけで言うと、産後の悪露という出血もありませんでした。個人差がありますが、だいたい二週間ほど続く、産後の子宮特有の出血です。
子宮がないのだから、当然ですね。


そして、第二に。

少し恥ずかしいお話ですが、避妊の必要がない、というのがわたし…というより夫婦にとって大きな変化でした。これについては、やはりどうしても突っ込んだ内容となるので、いつか別記事にて。


そして、第三は…
なんともう何も変化がありません。
以前の生活と全く同じです。
そればかりか、子宮がんと子宮頸がんの心配がないので、数年に一回の検診に行かなくてもいい!
というラッキーまでついてきます。


しかしたまに、ほんとにごくたまに「三人目ほしかったなぁ」と思うことはあります。
わたしが姉妹で育ち、いまも彼女たちととても仲がいいため「わたしの娘にも姉妹がいたらなぁ」と、下の子妊娠中によく思っていたものでした。


排卵をしたところで、わたしにはもう子宮がない。
新しい命を育てるための臓器が、わたしの体内にはもうない。
考えてしまうと、ほんの少し胸をぎゅっとつかまれるような気持ちになることもあります。
言葉が悪いですが、「女として欠陥してしまった」という感覚だったり。
ほんの一瞬、ちょっぴりですけどね。

でも生理が無い、子宮・子宮頚がんの心配がない、ということでそんなセンチメンタルにも大量のお釣りがくるほど快適です。ストレスフリー、です。
子供を二人持てているおかげもあります。あまりにも月並みな言葉ですが、子供たちの存在には救われます。


そして、裏を返せば「生理」「婦人系がん」がどれほど、世の女性たちに負担としてのしかかっているか、ということです。
こんなことを言うのは憚られますが、正直出産を終えたら子宮などなくてもいいです。ない方が本当に楽です。快適です。
何も困りません。
わたしも本来であれば自分の体の一部、生涯付き合っていくべきものでした。

いつまでも子宮摘出前の気持ちは忘れずにいたいものです。


ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

次回は、番外編とでも言いましょうか、わたしが「夫ってできた人間だなぁ」と思えるところの一つ、わたしがたまに用意するお弁当…お弁当?お弁当…とは?の、ご紹介をしようと思います。



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