【刺激強め】離婚を決めてからわずか3カ月で、私が「スピード離婚」を達成した話。
あなたは、以下のように思ったことは
ありませんか?
✅若気の至りで結婚しちゃったけれど
人生詰んでて草
✅家事や育児や仕事に追われて、
やりたいことも見つからなくて虚無
✅毎日に彩りがなく、
このまま老後を迎えるの恐怖
✅旦那のモラハラに自己肯定感が爆下がりで、
生きてる価値ゼロ
✅夫婦の都合で、子どもたちに
離婚を突き付けて良いのか途方に暮れる
✅両親に迷惑をかけ、最終的に
一人になって孤独死する未来が見える
✅こんなドロドロした話は恥ずかしくて、
友達すら離れていく惨めさ
✅離婚したいけれど具体的に
どう動いたら良いのかわからなくて思考停止
実は、これすべて私の話です。
大好きで結婚したはずなのに、
最後は大嫌いになっていました。
「この人とずっと一緒に生きたい」
そう思っていたはずなのに、
「同じお墓に入りたくない」
最後は憎しみで溢れていました。
私がどうやって
悩んで悩んで悩みまくって
17年の結婚生活に終わりを告げて
離婚へ踏み切ることに成功したか?
それについてお話します。
私が大学を卒業したのは、
超就職氷河期と言われる時代でした。
幸いにも某有名飲料メーカーに
就職先が決まり、
新しい環境にワクワクしていました。
しかし、男性だらけの営業職だったこともあり
体力的にも精神的にも
慣れない毎日がすごくしんどかったです。
そんな中、妊娠が発覚しました。
当時付き合っていた彼、
後の旦那との子どもでした。
つわりと上司のたばこの臭い、
営業の外回りと車移動、
私の体調はすこぶる最悪でした。
上司に妊娠を告げると
女性営業職として前例がなかったこともあり
退職を勧められました。
私もつわりがひどく、とてもじゃないけど
仕事を続けられる状態ではなかったので、
寿退社することに決めました。
それが8月。
入社後わずか5カ月のことでした。
その後、入籍しました。
家族だけの結婚式を挙げ
サイパンに新婚旅行にも行きました。
そして、23歳で長男を出産しました。
新しい生活はそこそこ楽しくて、
厳格な両親からの解放は
私にとって快適だったし、
何より息子がかわいくて
仕方ありませんでした。
自分に自信がなく愛を求めていた私が、
愛する家族に囲まれて
自分の居場所を見つけて、
それが幸せだと思っていました。
パートで貯めたお金で
マイホームも購入しました。
結婚当初の元旦那の手取りは、
19万円でした。
しかも借金があったことが発覚。
毎月の返済は正直苦しかったです。
1日1000円の食費でしのぐ日々。
それでもできるだけ貯金しました。
質素だけど幸せな生活、そう思っていました。
結婚前から違和感は感じていたものの、
普段は温厚な旦那でした。
それが、ときどき爆発するときがありました。
物を壊したり、暴言を吐いたり、
人格を否定されたり。
そして爆発したあとは、優しくなるんです。
それの繰り返し。
「でも、私は愛されている。
かわいい息子もいる。幸せだ。」
そう思っていました。
いや、思いこもうとしていたと言った方が
正しいかもしれません。
とにかく、他にやりたいことも欲しいものも
思いつく暇もないくらいに、
日々の育児とパートに追われて
20代が終わりました。
思考が停止していたと思います。
家族のために必死に生きてきて、
30代になり音楽と出会いました。
学生時代は推しのLIVEに
遠征したりしていましたが、
すっかり遠ざかっていました。
好きなバンドのライブに行ったり
グッズを買ったり、
生きる活力が湧いてきました。
しかし旦那はそれすらも気に入らないらしく、
馬鹿にしたり配信の音がうるさいとか、
グッズを飾るなとか
虐げられることもありました。
『家事のやり方』『育児の方向性』
『あらゆる優先順位』に
相違が生じていました。
のちのち気づくのですが、
モラハラだったと思います。
30代でパートから契約社員になって、
業務量が増え、責任も大きくなり、
プレッシャーに圧し潰されそうでした。
仕事と家庭のバランスが
取れなくなっていました。
保育園のお迎えギリギリまで仕事をして、
走って保育園に滑り込む。
スーパーに寄って夕飯の支度をし、
明日に備えて眠る。
泣きながら会社に行き、
すべてのことにやる気がなくなっていました。
精神的に追い込まれ、うつ状態でした。
最終的には仕事も辞めました。
ゆっくり休養を取ったおかげで、
またパートとして働けるまでに回復しました。
病気に対しては協力的だったものの、
旦那のモラハラは依然続いていました。
病気の心配こそはしてくれましたが、
モラハラは悪化し、家具や家の壁は破壊され、
「でぶ」「死んじゃえ」など
数々の暴言を繰り返されました。
挙句の果てに子育ての責任も押し付けられ、
「誰のおかげで暮らせてると思ってるのか」
との典型的なモラハラ発言もありました。
喧嘩の勢いで家を飛び出して、
行く当てもなくて
泣きながら明治神宮に
参拝をしたこともあります。
「死にたい。でも死ねない。
子どもを残してはいけない。」
なんとか正気を保てていたのは、
子供たちの存在があったからです。
でもそれも限界でした。
誕生日前日のことでした。
酔って帰宅した旦那に
理不尽なことで怒りをぶつけられました。
Ailaddinのおしゃれヒーターが
欲しかった私は、
「ねぇ、この前電気屋さんで見たの
いくらだっけ?」
と旦那に尋ねました。
ネットの価格と比較して、
検討したかったのです。
「電話してみる?電話した方が早いじゃん!」
旦那は、勝手に電機屋に電話を始めました。
「1××××円だってよ!在庫あるってよ!」
「どうすんの?行くの?」
しかし私はすでにパジャマ姿でしたし、
時間も閉店ギリギリでした。
もちろん飲酒している旦那は
運転ができません。
「お取り置きできないかな?」と尋ねると
「そんなん常識的にできるわけねーだろ!!」
と旦那に罵声を浴びせられました。
イライラしながらワイシャツを
洗濯機に投げ入れ、
「そもそも電話してもらったら、
ありがとうだろ!
そんなことも言えないのか。
こっちは親切にしてやってんのに!」
とキレました。
「俺は別にヒーターなんか欲しくない。
俺に聞くな!!」
ちょっと尋ねただけなのに、
そう言われました。
「もう相談しない…」と私は黙り込みました。
するとますますキレ始め、
頭がおかしいとか
ぐちゃぐちゃに言われました。
どうしてそんなこと
言われなくちゃいけないのかと思い、
「もう話すことはない!」と私は叫びました。
その直後、耳に衝撃が走りました。
脱いだスーツのパンツを投げつけられました。
そこについていた、ベルトの金具が
当たったのです。
めちゃめちゃ痛かったです。
衝撃と悲しみで、私は発狂しました。
「死ねぇぇぇぇ!!!!」
泣きながら、グーパンチで
旦那の胸を殴り続けました。
2階にいた息子たちが
何事かと心配して降りてくるほどでした。
17年の結婚生活のハイライトでした。
翌日、私は役所に行きました。
「離婚届けが欲しいです」
39歳の自分への誕生日プレゼントでした。
離婚届けを鞄にしまい込み、
おひとりさまでトンカツを食べました。
「絶対幸せになる」そう誓いました。
そしてその半月後、母親に電話し
「離婚したい」と打ち明けたのです。
新しい生活。
旦那と離婚して、
子どもたちと3人で穏やかに暮らしたい。
仕事して帰宅して、今日一日のことを
報告しながら笑って夕飯を食べたい。
夕飯のあとは、軽く公園まで
夜のお散歩を楽しみたい。
どんなテレビを見ても、誰の音楽を聴いても
文句を言われることなく、
ゆったりと夜の時間を楽しみたい。
「そんな些細な幸せを
私は絶対に手に入れてみせる!!」
そう心に決めました。
離婚をぼんやりと考え始めた頃から、
SNSをチェックし、
離婚や節約のアカウントをフォローして
情報収集をしていました。
例えば、離婚協議書の作成や、
養育費のこと、年金分割など。
使えそうな情報を
ひたすらインプットしました。
友人に離婚の相談をしました。
ただ話を聞いてもらう、
それだけでしたが、
気持ちが前向きになれました。
ちょっとずつ
離婚に近づいているような気がして
ホクホクしていました。
しかし情報は仕入れても、
実際に動き出す勇気や踏ん切りがつかず、
子どものためを思うと
なおさら一歩が踏み出せないでいたのです。
友人に相談しても、離婚経験者ではないため、
共感はしてもらえても賛同は得られないし、
責任が持てないので
おすすめはしてもらえませんでした。
結局、「現状維持が一番安定して
いるんだよなぁ」と思うと何もできずに、
自分さえ我慢すれば良いと感じていました。
大変だということは認識してもらえるが、
そのことを後押ししてくれる人は誰もおらず、
最終的に決めるのも動くのも
自分しかいないということを痛感しました。
「結局私はこのまま
離婚できないのかもしれない…」
またぐるぐると思考の深みに
ハマって行ったのです。
離婚する半年ほど前に、
初めて占い師に相談しました。
周りの人には相談できないような内容まで、
すべて伝えることができました。
否定はせず、ちょうど良い
アドバイスをくれました。
以上のことをアドバイスしていただきました。
実際はそのときは離婚を思いとどまりました。
離婚に向けて動き出したときは
無我夢中だったから忘れていたけど、
このときのアドバイスは
非常に的を得ていました。
やはり自分を客観的に見る上で、
第三者の意見はとても勉強になることを
実感しました。
旦那は車の運転が荒かったです。
クラクションを鳴らす、
猛スピードで黄色信号に突っ込む、
急な車線変更。
ジェットコースターみたいで怖くて、
助手席でいつも足を踏ん張っていました。
あるお正月のお出かけのときに、
またありえない運転をしました。
「やめて欲しい」と伝えたところ、
「いちいち口出すな!」と言われました。
些細なことかもしれません。
だけど、心は限界でした。
今までずっとずっと耐えてきたものが
とどめの一撃を食らって
とめどなく溢れてきました。
「もう無理だ」と確信しました。
「このまま死んだように生きるのは嫌だ」
そこから口にこそ出しませんが、
地道に準備を重ねていったのです。
SNSで見てきた情報をもとに、
積み立てNISA、ポイ活、楽天経済圏の利用、
不用品の処分など、
できることを実行に移し始めました。
溜まったポイントやお金は、
コツコツ積み立てました。
貯蓄もできて断捨離もできて
本当に良いことしかないし、
何より自分で決めて自分で実行することが
楽しかったです。
離婚するうえで一番気になっていたのは
子どもたちのことです。
親の勝手な都合で家族が解散する。
自分たちはそれを望んでいるわけでは
ないのに。
「離婚するからどっちについて行くか考えろ」
そう言われても、知らんこっちゃですよね。
「離婚は俺になんのメリットもない」
そうハッキリ長男に言われました。
次男は当時まだ小学3年生だったので、
無条件に私についてくる
流れになっていました。
長男が離婚を拒んだ理由の一つに
「友達にバレたくない」
ということがありました。
引っ越して最寄り駅を変えれば
気づく人がいる。
だからこの家から引っ越したくない
ということでした。
じゃあ、どうすれば引越しに
賛同してくれるのか…
考えた私は「最寄り駅を変えなければ
よいじゃん」そう思いつきました。
幸い、次男は転校することに憧れがあったので
学区が変わることに抵抗はありませんでした。
なので、駅の反対側で引越し先を探しました。
そうすると運命のように、
素敵な物件が見つかりました。
その日のうちに、仮契約をしました。
パートの主婦に賃貸が借りられるのか、
不安しかなかったです。
その物件は、保証会社が入ってくれるので
連帯保証人も不要で、支払いさえ
滞らなければ問題なしとのことでした。
たまたまですが、本当にラッキーでした。
最終的に長男は私についてきてくれました。
理由は「やっぱり兄弟は
一緒にいたほうが良いと思う」
弟のことを考えての決断でした。
そんなこんなをしている間にも
モラ旦那の発言は二転三転します。
「離婚しよう」
「やっぱりやり直そう」
精神的に不安定だったのかもしれません。
歩み寄ろうとしてはうまくいかなくて、
また衝突する毎日に
心がどんどんすり減っていきました。
それは、私だけではなく家族全員がです。
最後は旦那が根負けした感じでした。
何を言っても無駄だと悟ったのでしょう。
つらくても前に向かうしかなくて、
文句を言われつつも
泣きながら引っ越し準備をして
ついに離婚に成功しました。
「何があっても離婚する」と貫いた
私の勝利でした。
離婚してまず、
仕事への取り組みが変わりました。
もちろん生きていくために
必要なことだからというのもあるけれど、
周りの人への感謝の気持ちも相まって
一生懸命に働きました。
その姿勢が評価されて、
正社員になってからわずか1年で
昇格をすることに成功しました。
「いつも大活躍してくれている」
と上司に言われて、
本当に感謝しかありません。
仕事が以前より楽しくなったし、
自分の得意なことで活躍できるのは
嬉しいことです。
お金も以前より自由に使えるようになり、
自己投資もしています。
美容のためにネイルや脱毛に通って、
きれいになることで自己肯定感がアップして
モチベーションもあがっています。
将来のために朝活も始めました。
パソコンに向かって資料作成をしたり
読書をしたり。
誰のためでもなく、
自分のために時間とお金を使うことの
贅沢さを生まれて初めて味わっています。
何より、子どもたちに笑顔が増えました。
ずっと、親の挙動を伺っていたと思います。
今では、笑い話にできるくらいタフです。
本当に素晴らしいチームです。
この子たちの笑顔がこの先も続くように、
陰ながら支えて行きます。
もっと誰かの役に立ちたいし、
そのために自分にできることは
何でもやってみたい!
離婚の際、情報収集に利用したSNSは、
「今度は自分が発信する側になりたい」
と思って、投稿を続けています。
私の投稿を見て、
「共感して涙が出た」
「勇気が出た!」
たくさんの嬉しいメッセージを
いただいております。
無料相談でも、
「気持ちが楽になった」
「離婚に向けて頑張ります」
と、実際に次へのステップを
進み出した方もいます。
先日、前職の同僚から相談を受けました。
旦那さんとは別居状態で、
緊急事態が起きたときに
頼れる人がいないと実感したそうです。
老後を考えたときに、
そんな寂しい生活は嫌だと思ったそうです。
子どもたちを遊ばせながら
未来について話し合いました。
「もんさん、かっこいいわ」
同僚はそう言ってくれました。
「やってみるよ!」
彼女は動く決意をしました。
その後しばらくするとLINEがきて、
「今後の働き方について上司に相談したよ」
彼女が一歩を踏み出した報告でした。
また近々会う約束をしたので、
経過報告を楽しみにしています。
私には夢があります。
私や同僚のように
悩み苦しんでいる女性を助けたいのです。
1人じゃ抜け出せないかもしれないけど
私が手を引っ張っていける存在に
なりたいです。
同じものを目指している女性同士が、
手を取り合って支えあっていける
そんな世の中にしたいです。
もっと器の大きな人間になりたいです。
そしてもっと色々な方と出会って、
繋がりの輪を広げたいです。
日本中、ひいては世界中の女性が
幸せになれることを願っています。
「自分一人の力ではどうしようもできない」と、
自らの心にブロックをかけて
しまっていませんか?
第三者に、知らない誰かに相談することで、
自分の心の内をさらけ出せます。
素直に意見を聞き入れることができます。
迷って諦めてしまいそうなときに、
すぐに相談に乗ってくれる人がいることは
どれだけ救われるか。
特に女性は共感してもらうことで
メンタルが安定するので、
遠慮せずに自身の悩みややってみたいこと、
何でもいいからぶちまけてください。
私とのコミュニケーションを通して
あなたの本当に求めていることを
深堀していきましょう。
心のドアの鍵を開けてください。
そして、離婚した先の
わくわくする将来のために
今できることを一緒に進めましょう!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?