映画 オッペンハイマー
遅ればせながら、話題の映画
「オッペンハイマー」を見た。
アメリカの理論物理学者で、
悪名高いマンハッタン計画を指揮し
原爆の父と呼ばれた男。
本作はオッペンハイマーの目から見た、
原爆の誕生経緯とその後の姿を
政敵、アメリカ原子力委員会の委員長
ルイス・ストローズの視点を織り交ぜながら
浮き彫りにした、話題作である。
広義の被爆2世として
2000年にアメリカに居住した。
当時原爆投下55年のセレモニーが
私の住んでいる小さな町でも行われ、
現地のニュースでは盛んに
1995年のスミソニアン博物館における
原爆展の展示が、
原爆投下を正当化する世論に押されて
中止になった問題が、
議論されていた。
「戦争中の日本」に対する風当たりは強く、
私も通っていた
シティカレッジの授業では
先生がみんなの前で
他の日本人に、「あなた方は
なぜ真珠湾攻撃を行なったのか」
と詰問する場面もあったと聞いた。
そういう時代を超えて、
この映画が世界的にヒットし、
高い評価を受けている現在が
本当に感慨深い。
個人的には、原爆がナチスを止めるために
ユダヤ人の手によって開発された。
と知ったこと。
オッペンハイマーが原爆ができてから
少なくとも水爆は止めようとしたこと。
研究開発に私怨をを持ち込んでオッペンハイマーを嵌めた
ストローズが、望む大臣職につけなかつたこと、
にカタルシスを感じた。
人類を滅ぼすようなものを作ってはいけない。
しかし、進歩や発見への熱望が
気がついたら地獄の蓋を開けていた、
ということは理解できる。
22万のもの人が残酷な被災で亡くなった。
後遺症や二次災害を入れればもっとだ。
その痛みは多分永遠に、消えない。
しかしオッペンハイマーがやらなくても
誰かは,原爆を作り出しただろう。
人間の無意識の奥底には
フロイトが喝破したように
死や破壊への強烈な欲望がある。
ある時、なんの脈絡もなく
映画のオープニングシーンの
超新星の爆発のようなシーンに
襲われたことがある。
スピリチュアルなメンターの先生に
私の中で、星が爆発するんです
と泣きついたところ
親が原爆を受けたことで損傷した
幽体上の遺伝子配列から
過去の原爆被災者の
集合意識に共鳴しちゃったんだね
と言われ
かなりの手間をかけて切り離される
ということがあった。
あのオープニングシーンとラストが
あまりにその時の感覚に
そっくりだったので、
あえてIMAXではない
普通の映画館で見ることにして
本当によかったと思った。
誰の中にも
破壊を希求する欲望はあるだろう。
だからこそ我々はその力を
どう使って生きていくかを
考えなければいけない。
映画としてもめちゃくちゃおもしろかったし
3時間があっという間だった。
ただ、物語の作りが
意図的に不親切なので、
もしこれから見る人がいれば、
予習をしてから見た方がいいと思う。
余談だが前述のスミソニアン博物館では
2025年に原爆展を
再企画中だそうだ。
今度こそ受けた側の記録をぜひ
アメリカで展示してもらえることを
心から望んでいる。
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