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神奈川県立こども医療センター

■ 単独転院

 何から書き始めたものか、と思いましたが、やはり順番に書くことにします。

 「双子」の娘と息子は、「横浜市立大学付属市民総合医療センター」(通称「センター病院」)で生まれました。
 当初は自然分娩の予定でしたが、難航したため、半日ほど経ってから緊急帝王切開に切替となりました。

 ところが、息子にいくつかの「畸形」が発覚します。すぐに外科手術をしないと命に関わることでもありましたが、生まれた大学病院では新生児の外科手術はできない、と言われ、対応可能な病院に転院することになりました。
 どこに転院させられるのか、遠い所(都内とか)だったらどうしよう、と、不安になりましたが、幸い、すぐ近くの「県立こども医療センター」が受けてくれ、「たらい回し」は回避されました。息子は、初めて乗った「乗物」が「救急車」だったためなのか、幼児期は「救急車」が大好きでした。

 そのまま「神奈川県立こども医療センター」新生児科の「NICU」へ転院・入院になり、今でもほぼ全ての診療科の主治医は、このセンターの先生たちです。 

 単胎、つまり赤ちゃん1人であれば、こども医療センターに「母子」で転院もできたようなのですが、双胎、所謂「双子」ですので、娘まで一緒に、とはできず、息子だけが転院になりました。
 ついさっき生まれたばかりの息子を「連れていかれる」ことになる妻の表情は、18年が経とうとしている今となっても、はっきりと記憶に残っています。 

■ VA(C)TER(L)連合(症候群)

 息子の「畸形」については、専門的には「VA(C)TER(L)連合(あるいは症候群)」と言って、椎体(脊椎)異状(V:vertebral defect)、鎖肛(A:anal atresia)、先天性心奇形(C:cardiac malformations)、気道閉鎖を伴う気管食道瘻(ろう)(T,E:tracheoesophageal fistula with esophageal atresia)、腎異形成(R: renal dysplasia)、橈骨(とうこつ)異形成(R:radial dysplasia)、四肢の異常(L:limb anomaly)といった複数の異常(異状)が存在する疾患が知られていて、恐らくこれに該当する、と。
 そのため今後、他にも何か異常が出るかも知れない、と言われています。
 この「VACTERL連合」に該当したからと言って、必ずその全てに異常(異状)が起きるという訳ではありません。このうちのいくつかに生じる、ということが多いようですが、傾向としてこの「グループ」に複合して色々と生じる症例が多数ある、ということらしいです。
 また、複数の異常や畸形が複合して起こるものとして「CHARGE症候群」など、他にも色々と知られている疾患があります。
 そのせいかどうか、たまに学校の健康診断などで、心臓や肋骨に「所見」が出ることもあります。幸い、あまり気にするほどではないようですが。
 ちなみに国の指定難病の中に「173:VATER(ファーター)症候群」としての指定があり、症状が重い場合には、医療費助成制度の対象になったりもしているようです。「ファーター」はドイツ語読みで、英語読みの「ヴァーター」とか「ヴァクタール」「バクタール」連合、あるいは症候群とも読まれます。「C」や「L」は後から追加されたという経緯があるようで省かれることもあるようです。胎内での発生・成長過程で何らかの問題が生じているようですが、はっきりした原因は、未だに解っていません。

 また、全くの余談ですが、シンガーソングライターの椎名林檎さんも、幼少時にこの病気で手術を受けているそうです。なので、数年前に「ヘルプマーク」に関する「騒動」(「椎名林檎 ヘルプマーク」などで👉検索すると詳細が出てくると思います)が起きたことが、ちょっと意外な気がしました。
 「ヘルプマーク」自体は、東京都が始めたもので、現在では全国に広がり、認知度もかなり上がってきたと思います。息子も、始まった当時に、わざわざ都営地下鉄の駅に行って貰ってきたりしました。 

 しかし、いかに「こども医療センター」と雖も、新生児に対して、いきなり「根治術」はできません。まずは、一時的な手術をしてしのぎ、ある程度、体が大きく成長したら(概ね1歳前後)、本格的な根治術。そして、一時的な手術の「後始末」と、計3回の手術が必要でした。
 また、息子のような患者の場合、腹筋などがかなり成長しない限り、基本的には毎日の医療処置が必要になります。

 多くの「畸形」に関しては、度重なる手術で一定程度の機能回復ができました。
 ですが、実は「腎臓」が左側にしかない、ということも判っています。腎臓は、一つしかなかったとしても、それですぐに問題になることはありません。そのため、片腎しかないことだけでは「身体障害者手帳」の交付要件を満たしません。あくまでも「腎臓の機能」がどうか、で判定することになっています。親族間で(一つ残ればどうにかなるので)腎臓移植の手術を行うような事例も、時々耳にします。
 残された片方の腎臓が正常ならば、充分な機能が維持できますし、このような先天性の場合、一つだけの腎臓は、通常よりも大きく成長することがほとんどのようです。実際、息子も、小学校の高学年の時には左(しかありませんが)の腎臓は、成人のそれ並みの大きさに成長していました。
 ただし、事故などで万一、一つしかない腎臓に損傷が及んだ場合は大変なことになるので、それだけは気を付けてください、と言われています(どう気を付けろと言うのだろうか、とも思いますが)。 

 しかし、3歳の頃に、この「VACTERL連合」によると思われる、もう一つの障害が発覚します。
 今度は、脊椎の畸形に起因する脊髄や神経の異常が原因でした。このため、一日数回、数時間おきの医療処置が追加で必要になりました。
 そのため、少なくとも昼に一度、保育園にも行く必要が生じましたが、妻がすぐ近くの勤務先に異動させてもらえ、対応できました。
 また、これについては、脊髄や神経が骨に癒着していることが原因かも知れず、それを切り離せば改善するかも知れない、と脳神経外科で手術をしてみることになりました。
 しばらくは特に変化は見られず、その結果(かなり重度の)身体障害者手帳も交付されたのですが、その後、成長とともに筋力が付いてきたこともあってか、小学校の半ばから、自力でどうにかできるようになりました。
 ちょうどその前後に、どういう訳だか処置(の手技)が難しくなり、妻も、看護師でも処置できなくなる、という状態になっていたので(何故か主治医と自分だけはできたのですが)、助かりました。 

■ 新生児科と病棟

 最初は、新生児科・NICUでお世話になりました。手術のため、外科にも併診しています。
 また、新たな障害については、泌尿器科や脳神経外科でも対応してもらいましたし、必要に応じて整形外科やリハビリテーション科のお世話にもなりました。 

 妻と娘は、センター病院から一週間ほどで退院しましたが、息子の最初の入院は、手術も含めて2か月近くになりました。退院して帰宅すると、双子なのに娘とは身体の大きさが二回り以上も違うほどの差が付いていました。

 娘もいるため妻が行く訳にもいかず、こども医療センターに行くのは、自分の役目になっていました。仮に娘を連れて行っても「きょうだい児は病棟に入れない」ルールになっていたのです。一度だけ、病棟の看護師さんの配慮で病棟入口のドア越しに「面会」したことがありました。生まれてすぐに引き離され、2か月後に「再会」するまでの間で唯一の「姉弟の『接点』」だったかと思います。
 その後も、1歳になるまでに、2回の手術のための入院を繰り返すのですが、いつも同じ病棟だったので、看護師さんたちとは顔なじみになっていました。入院のたびに「大きくなったね~」と言われたりしました。毎日見ていると「成長」には気付きにくいものですが、久しぶりに会う人には、だからこそ、はっきりと「成長」がわかるのでしょう。 

 幸い息子は、ここまでくれば命に別条があるような状態ではありませんでした。もっとも、まだ小さい身体に何度も手術を行う訳ですので、絶対大丈夫、と言い切ることはできませんでしたが。

 この「神奈川県立こども医療センター」には、かなり重い病気の子も多数入院しています。これだけ設備の整っている「こども病院」は、全国にもそれほど多くはないため、神奈川県内だけでなく他都県から来ている子もいるようです。駐車場にも、他県ナンバーの車をよく見かけますし、遠方から来る家族のために、医療センターの近くに宿泊するための施設もあったりします。

 また、こども医療センターで、偶然、知っている人にばったり会う、ということが、しばしばありました。ここに通っている、ということは、それなりに重い病気などがある、ということなのは、当事者同士ならすぐに解ることです。
 意外と身近に、子供が病気などと闘っている人が、結構いるものだと思いました。

 最初の入院こそ2か月に及びましたが、その後の入院は、いずれも2週間以内。とりあえず、何をするために入院するのかは、はっきりしていましたし、最初の入院以外は、期間も予め想定されていました。
 この頃までの入院は、まだ物心が付くまで、だったので、比較的、手がかからなかったように思います。

 入院している時に、他の子の親御さんから、「都市伝説」的に教えられたのが、「ナースステーションに近い病室ほど、重篤な子が入院している」というものでした。時々病室が変わることがあるのですが、ナースステーションから遠ざかるにつれて「退院が近い」のだそうで、よくそのことを「出世」などと呼んでいました。
 息子は、1年の間に3回の入退院を繰り返したのですが、その間、ずっと入院したままなのではないか、と思われる子も、何人もいました(名前を憶えてしまうほど通っていた、ということでもありますが)。長く病棟にいると、いろいろなことに気付くのかも知れません。
 また、その後のMRI検査のために点滴による鎮静が必要で「日帰り入院」になった時も、同じ病棟に入ったことがあります。知っている看護師さんとの「再会」もありましたが、病棟内には、もしかすると、あれから更にずっと入院したままなのかも知れない、という見憶えのある名前の子が何人かいたのも事実です。

 子供が同じ病棟に入院していても、親も様々なようです。
 我が家では、まだ娘も小さかったので(双子だから当然ですが)、主に病院通いは自分の役目でしたが、毎日のように来る人、ちっとも顔を見せない人。色々な事情があって来られない人もいるのでしょうが、隣の子の親が来ると、気になって仕方がないような子も少なからず見ました。
 息子が成長して、もう病棟に上がることもなくなりましたが、あの子たちは今、どうしているんだろうか、と、ふと思うことがあります。 

■ 救急外来

 3歳で息子に別の障害が発覚し、その改善を期待して脊髄の手術も受けました。
 最初の3回の手術や入院の時には、まだ0歳児だったので、あまり気に留めなかったのですが、脊髄の手術の時には、既に4歳になっていて、物心も付いているので、本人も辛かっただろうと思います。
 こども医療センターの面会時間は、22時までとかなり長かったので、毎日、仕事帰りに立ち寄っていました。それまでに寝付いてくれればいいのですが、なかなかうまくいかず、帰るタイミングが計れなかったことを憶えています。 

 今となって振り返ると、ちょうどそれから2年間くらいが、最も身体障害の影響が大きかった時期だと思います。その頃には、消化器を中心に、頻繁に具合を悪くして、何度か救急外来で対応してもらったこともありました。
 また、最初の3回の手術の「痕」が不具合を起こしたりもして、5歳の時に追加の手術(これは、それほど大掛かりなものではなく、数日程度で退院できました)を受けたりもしています。

 同じ頃、地域療育センターでの発達検査の結果、療育手帳(愛の手帳)が「非該当」になりそうだったので、身体障害者手帳ではどうだろうか、と、外科で「身体障害者診断書」を書いてもらいました。
 外科の主治医は「この病気で手帳が取れたって、あまり聞かないけど」と言いながらも、診断書は書いてくれました。今思えば、一番酷かった時期に申請したので、診断書はそれこそ「てんこ盛り」になっていたんだろうと思います。
 また一般的に、未就学児(5歳以下)は、成長によって障害が軽減することが多いので「再認定」が設定されることが多い(しかもその「15条指定医」の「診断書」でも「3年後の再認定」の意見付きでした)のですが、それも付きませんでしたので、そのままの等級で今に至っています。 

 「障害者手帳」全般に言えることではありますが、「持つ・持たない」の選択は自由です。しかし、持つことによるメリット(裏返すと「持たないことによるデメリット」でもあります)は、色々と挙げられるのですが、持つことによるデメリットは、本人や家族にとっての「障害者であること」への「負い目」くらいではないかと思います。
 「障害者手帳」を持っていても、必要があるときにだけ提示すればいいだけで、当然のことですが、常日頃から「私は障害者です」とぶら下げておかなければならないものではありません。そう考えると「ヘルプマーク」がここまで普及したことに対しては、隔世の感があります。
 実際問題として、「障害」の「程度」や「等級」が大きくなるほど(実際には等級の「数字」は小さいほど重度なのですが)、受けられるサービスの範囲は広がります。一方で、それに伴って(制度上)「できなくなること」が増えるか、というと、基本的にはありません。なので、どうせ「障害者手帳」を持つなら、(それによって「実際」の障害が変わる訳でもないので)「程度・等級」が大きいほうが有難い、とも言うことができます。
 あとはそれを、本人や家族がどこまで受け容れられるか、ということに尽きるのかな、と思います。 

■ MRI検査

 前述した「VACTERL連合」の関係か、脊椎周りに畸形が集中しているので、定期的にMRI検査を受けています。小さい頃は、検査の間、じっとしていられないため、毎回、点滴による鎮静をしていたのですが、幼児のとても細い血管に点滴の針を入れるのは、これがまた大変です。
 小学校に上がる頃、「大きな音がするだけ、ただそれだけ、何かが触る訳でもないから、全然痛くないよ」と、繰り返して言い含めたら、かなりあっさりと我慢できるようになりました。
 やはり、自閉スペクトラム症などの発達障害がある子供には、「見通し」が大事なんだな、ということが見て取れた顕著な事例だと思っています。 

 その経験は、その後の育児においても、多分に活かされたと思います。
「もし、こうなったら、こうする」ということを、あらかじめ複数考えておく、ということにも対応できるようになりました。 

 特に脳神経外科での手術後の経過を診(み)るために、このMRI検査をオーダーしているのですが、手術そのものは、無事に終わっているものの、症状の改善は、しばらく見られませんでした。
 しかし、「VACTERL連合」のくだりでも触れたように、小学校の半ばからは、腹筋の力がかなり強くなって、これに関する医療処置は必要なくなりました。
 これが、手術の成果が、遅れて出てきたからかどうかはわかりませんが、今では、年1回の「経過観察」で良くなっています。 

 MRI検査に限らず、こども医療センターでは、色々な検査を定期的に受けています。
 中には、実際に、かなり痛いものもあるにはあるのですが、これらを通して、相当に我慢強くはなった気がします。 

■ 定期通院

 息子の成長と共に、身体障害については、かなり落ち着いてきました。
 現在では、内科、脳神経外科、泌尿器科は、それぞれ年1回の通院で良くなっています。外科だけは、処方があるため、数か月に1度ですが、かなり負担は軽くなりました。 

 中学校からは、発達障礙に関する部分も、地域療育センターから、こども医療センターの児童思春期精神科に移りました。こちらも、基本的には年1回の通院です。 

 小さな頃から何度も通っているので、息子は、自家用車で行く場合の道順を数パターン、バスで行く場合の乗り方なども熟知していますし、医療センター内のどこに何があるか、も知り尽くしています。
 最近ではあまり行きませんが、外来の片隅にある「図書室」にも、以前はよく入っていました。 

 こども医療センターに限らず、息子は、一度行った場所までの「道」「行き方」を、とてもよく憶えています。妻などは、カーナビを使っても道に迷ってしまうのですが、息子は「違う、そこじゃない」などと、すぐに「突っ込み」ます。そんな時でも娘は、ひたすら寝ています(笑)。
 もともと乗物好きなので、公共交通機関の使い方も熟知しています。特に現代は「Suica」などの交通系ICが普及していますし、(「障害者手帳」に紐付いた)「福祉特別乗車券」も持っていますので、一人でどこにでも行けそうではあります。 

 なので、もう、こども医療センターにも息子一人でも行けるだろうとは思うのですが、医師から言われたことを、きちんと親に伝えることができるかどうかが怪しいので、ついて行くことにはしています。
 ただし、あくまでも「こども医療センター」なので、原則は18歳までが対象のようです(医療センターのHPには、現在「原則15歳以下(中学生まで)」と書かれていますが、各科の主治医には「高校までは診ます」と言われています)。時々、20歳くらいまでは経過観察的に診ている事例もあるようですが、いずれは、一般の医療機関に移ることも視野に入れなければならないと思います。
 例外的に、外科だけは特殊な疾患のため、成人しても一般の医療機関では対応が難しいとのことで、こども医療センターに継続通院することになるようです。中にはそういう病気もあるみたいです。 

 息子は、生まれつき色々と身体に障礙を持っていますが、不思議なことに一般的な病気にはあまり罹りません。
 対照的に、娘は「流行の最先端を走る」が如く、毎年のようにかなり早い時期からインフルエンザに罹患していました。高校一年生の夏には、部活の合宿で新型コロナウイルス感染症が発生し、「濃厚接触者」となって帰宅したので、即「隔離」したのですが、数日後に発症。その時も息子(と妻)は「無事」でした。自分は、どうやらもらってしまったような気もする(確かに咽喉の痛みはあった)のですが、全く発熱しなかったため検査されることもなく、抗原検査キットも品薄な時期で手に入らず、白黒つかないまま終わってしまいました。

 息子は、インフルエンザにも生まれてから15年以上、一度も罹らずに来ましたが、高校一年生の年末に、自分がどこかでもらってきたのが感染したらしく、遂にインフルエンザ・デビュー。今度は、娘と妻は無事でした。我が家の「家庭内隔離」は、どうも変なパターンで機能しない組み合わせが発生します。
 とうとうインフルエンザには罹ってしまいましたが、息子が流行性感染症に罹患しにくい理由の一つとして、非常にまめに手を洗うことがあると思います。こども医療センター(特に病棟)では、面会者もかなり丁寧に手洗いが求められますし、息子自身の医療処置の際にも、処置の前後に手洗いが必要です。そんな環境に長くいる「発達障害」の当事者ですので、「手洗いに対するこだわり」が強くなっているのかも知れません。このような「こだわり」は、ウエルカムだと思います。
 息子が高校生になって、色々な面で自立するまでインフルエンザに罹らなかったことは、もしかすると多くの先天性障害や疾患を抱えて生まれてきたことに対する、せめてもの「埋め合わせ」なのかも知れない、と思っています。

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