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気付いてしょんぼり [勘違いしていた英語]

机上で学んでいた英語と、実践の英語が違うことがよくある。そして、これがなかなか手強い痛い思いをすることもよくある。

アメリカでは、challengeという言葉がよく使われる。この言葉は、とてもポジティブかつ好意的に受け止められる。monkeyはどういうわけか、このチャレンジという言葉がとても嫌いだった。

慣れない環境での生活や仕事のプレッシャーで、余裕がなかったのだと思う。
他の人は好意的に「チャレンジするのは良いことだよ。」と常識的なことを言っているだけなのに、「もうヘロヘロになるぐらい頑張っているのに、もっと頑張れと言うのか? お前に言われたくない。簡単にやれって言うなよ。」と勝手にお節介な言葉として受けとっていた。

しかし、時が立つにつれ、この「チャレンジ」という言葉が「挑戦」などという大袈裟なものではないことがわかった。
英語のチャレンジは、もっと気楽なもので「ちょっと試してみるよ」程度でも使われる。新しい趣味でも料理でも何でも良い。「これまでやったことがないから、上手く出来るかどうか分からないけれど、やってみる!」程度の雰囲気を持つ言葉だということがわかった。

確かに、tryよりも、面倒くさかったり、ややこしかったりするかもしれないが、難しさの度合いにだって個人差がある。高所恐怖症のmonkeyにとって、バンジージャンプトライではなく、スーパー スペシャル クレイジー チャレンジとなる。
まあ、内容はともあれ、楽しそうなことにも使える良い言葉なのだ。

日本語訳で「挑戦」となると「挑む」だけでなく「戦う」という漢字のせいで、苦労しなければ成し遂げられそうもないイメージを持ってしまっていた。

さらに嫌いな英語に should があった。アメリカ英語では、よくshouldを使う。
あまり他人に「〜すべき」と言うことがないmonkeyからすると「You should 〜」と言われると「たいして知りもしない人達から恩着せがましく「〜すべき」などと言われる筋合いはない。バカにされているのか? そもそも、どうしてこんなに押しの強い人達ばかりなのだろうか。」と驚かずにはいられなかった。

しかし、生活していくにつれ、shouldはもっとカジュアルで、ポジティブお勧めの場合にも使われていると気がついた。人々は自分の経験から「これ良い!おすすめ!」と思っている時にshouldを使う。「You should watch the show.」 を「君はこの番組を観るべきだ。」と訳すのと「あの番組(面白かったから) 観たら良いよ!」と訳すのでは大違い。

アメリカ人は、上から目線でものを言っているのではなかった。フレンドリーにお勧めしてくれていたのだ。monkeyが勝手に間違った訳をあてはめ、いちいち卑屈に受けとっていただけだ。ただただ、自分の愚かさで情けなくなる。でも、こういう勘違いは沢山ありそう

ニュースやSNSばかりでなく、たまには感情移入しやすそうな小説でも読んで、使われている言葉の感覚を学んだ方が良さそうだ。