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アメリカ映画という巨大な河をさかのぼる体験

およそ1か月サボってました。

書くネタがなかったのではなく、書き上げるパワーが落ちていた。
毎日書いていた時は、毎日が締切のような感じだったが、間を空けるようになったら、締切感が弱まってしまった。
毎日書くのと、時々書くのとでは時間感覚がまったく違う。
毎日書いていた時は時間で考えていた。今日は後3時間しかないからすぐに書き始めないと、みたいな。
「時々書く」になると日単位になる。今日ムリなら明日にしよう、って。
「今日できることを明日に延ばすな」。中学生の頃、そんなことよく言われていたけど、ホントだね。延ばし始めるとどんどん延びていく。
ま、この1か月、仕事もプライベートも忙しくて、映画見たり、本読んだりして、時間が取れなかったこともあるけど‥。
いや、こんな言い訳じみたことを書いても意味がない。
覆水盆に返らず。少年老いやすく、老人はさらに老いやすい。

閑話休題。

<アメリカ映画史>再構築

今、とんでもなく厚い本を読み始めた。
映画評論家遠山純生さんの「<アメリカ映画史>再構築」だ。
2段組で700ページ以上ある。うーん、読書苦手派の私にはかなりの重労働だ。

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しかし、これはきっちり読みたい。
アメリカ映画が好きで、たくさん観てきた。
アメリカ映画には多くの人が抱く特定のイメージがある。
娯楽性が高く、豪華で楽しくて、最後はいつも希望を持たせてくれる夢の工場、みたいなイメージ。
しかし、100年を越えるアメリカ映画の歴史がそんなに単純であるわけもなく、少なくとも私が映画を見始めた1970年頃のアメリカ映画は、このような明るいイメージと真逆だった。
「俺たちに明日はない」「イージーライダー」「真夜中のカーボーイ」、どの映画も豪華さとはほど遠く、主人公たちは基本的に死んでいくか惨めな結末を迎える。
それらの映画は日本では、アメリカンニューシネマと呼ばれた。

それまでのアメリカ映画とイメージが異なるから「ニュー」と名付けられたのだろうが、それ以前のアメリカ映画にも、暗いものはあるし、低予算のものもたくさんあることに、後で気づいた。
アメリカ映画は一般に考えられている以上に多様であり、複雑怪奇であり、奥深いということか。
今までもアメリカ映画に関する本を読んで、それなりに理解はしているつもりだったが、私はこの本の、この分厚さに、より深遠な新しい発見があるのではないかと期待している。

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アメリカ映画という大河を遡る体験

遠山純生さんは私が最も信頼する映画評論家の一人だ。過去の書籍、雑誌、あるいはDVDの解説などで触れる彼の文章にはいつも発見がある。
その遠山さんが実に15年以上かけて書いた、アメリカ映画に関する700ページを読まずに素通りすることはできない。
既に冒頭から、発見に満ちている。一体どんな読書の冒険になるのか、楽しみ。
老眼鏡を新しく誂え直してて、アメリカ映画という巨大なジャングルに分け入るのだ。「地獄の黙示録」のウィラード大尉のように。

普通、読書感想文は、読了後に書くものだが、読む前に書く、というのがあってもいいし、途中経過とかを書くのも面白そうだ。

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