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クリント・イーストウッド91歳のロマンティックコメディ。 「クライ・マッチョ」

「俺はドリトル先生か」


クリントのこのぼやきが、観る人の心を和ませるなあ。

クリント(あ、そう呼ばせてもらいます。
イーストウッドではよそよそしいし、かれこれ60年のおつきあいなので)。
クリントは今回、原点にかえってカウボーイで登場する。
当然、馬のあつかいは手なれたものだけど、
ケガした羊や豚とかも治療してしまうので、
近所の人が次々に家畜やペットを連れてくる。
その様子にうんざりして、冒頭のセリフをつぶやくのだ。

昔から、クリントは子どもも動物も得意だった。
確かに、動物たちと話が通じている感じなんだよね。
今回はその能力が全開で、
暴れ馬も彼がそっと手を添えるだけでおとなしくなる。
子どもをメキシコのやばい連中から奪い返すという話なので、
アクションに次ぐアクションの連続、かと思っていたら、
全然違った。
これ、ロマンティックコメディですよね。
アメリカ映画お得意の。

マルタの登場で物語が大きく方向転換

出てくる人たちがみんな、普通にいい人ばかり。
コワモテの悪役も、なんだか間が抜けているし、
マッチョ、と言ってもそれはニワトリの名前。
力づくでトラブルを解決するのではなく、
なんかうまい具合に仲間ができて、ピンチを乗り切ってしまう。
決定的なのが、フラリと立ち寄った食堂で、
マルタ(ナタリア・トラヴェン)が登場した瞬間だ。
ここで、私はピンと来た。
これはマッチョなアクション映画ではない。恋愛映画なんだと。

孫が4人もいるのに、
ラテンな雰囲気とサバサバした口調が魅力的なマルタ。
すごいなあ、この鮮やかな登場のさせ方。
どういう女優をどんな風に立たせたら、
観客の心をきゅってつかむのかをよく分かっている。
もちろん、クリントも一気に心をつかまれる。
しかし、最近の映画のように、カットが変わったら
もうベッドの中、なんていう展開にならない。
クリントは料理をつくったり、孫たちの世話をしたりして、
少しずつ距離を縮めていく。
このスロウな(ソワソワする)展開が、
まるでおとぎ話のようにロマンチックに感じる。

マルタ(ナタリア・トラヴェン)

クリントは天使かもしれない

この映画でのクリントの表情は、とにかくやさしさに満ちている。
と言っても、いつものように眩しそうに眼を細めるだけなのだが。
キリスト像の前で寝ることを子どもにとがめられるのだが、
クリント自身がキリストなんじゃないかかと思うくらい、
人間も動物も彼によって救われていく。

私がリアルタイムに映画館でクリントを観た、最初の映画は
「ダーティハリー」(1971年:ドン・シーゲル監督)だった。
ホットドッグを食べながら、銀行強盗を次々にマグナム45で仕留めていく、力づくの物語だった。
しかし、劇中に巨大な十字架が出てくるし、
カメラ視点がなんか上から見ている感じもあって、
こじつけかもしれないけど神の視点を感じさせる映画だった。

その後、彼自身が監督する作品で、
彼は幽霊だったり、謎の神父の奇跡だったり、死んだ人との交流だったり、
なにか超自然的な力を描こうとしてきた。
監督処女作「恐怖のメロディ」は完全にホラー映画だったし。
こういうホラー風味は、クリント映画の魅力のひとつだよね。

そんな彼の集大成がこの「クライ・マッチョ」かもしれない。
しかし、ホラーではなく、登場人物も観客もハッピーにする
天使の物語として。

マグナム片手に立つダーティハリーの後ろに処女作「恐怖のメロディ」の看板が。

さっさとマッチョを捨てたから、成しえた奇跡か

「恐怖のメロディ」から50年。
監督作が40本を超えるなんて、あの時まったく想像しなかった。
91歳のクリントが主演する映画を観られること自体が
そもそも奇跡だし、こんなに幸せなことはない。
「クライ・マッチョ」は、映画の中でも外でも
多幸感にあふれた稀有な作品になったと思う。
クリントが、マカロニ時代のようなマッチョな役ばかりやっていたら、
たぶんこんな奇跡は起こらなかったと思う。

「マッチョなんて、雄鶏くらいがちょうどいい」という台詞が
クリントの50年を総括しているような気がするし、
アメリカに対する鋭い批評に聞こえる。
ホントにいい映画です。


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