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映画ドライブ・マイ・カーをサーブの視点で見てみると

ビートルズの「ドライブマイカー」が流れるポップな映画かと思っていたら、全然違った。
官能的な場面や会話はあるけど、作品全体のトーンは静かなまま淡々と進んでいく。主人公の身に降りかかるできごとは、私だったらとても耐えられない悲劇の連続だと思うが、彼は激高せずにじっと耐えつづける。

まるで主人公が乗る車、サーブのような感じ。

変わらないことが魅力の車サーブ

サーブに8年ほど乗っていた。
サーブと言ってもGM傘下になってからの9-3というタイプ。
グリフィン(サーブのマーク:鷲と獅子が合体した鳥獣)は付いていたが実体はドイツのオペルだった。
しかし、細部に航空機メーカーだった頃の名残があって、元飛行機少年だった私にはそういうところが魅力だった。
高級イタリア車を乗り回している知人からは鼻で笑われたけど。

サーブはずっと時代遅れだった。
最初は違った。現在の乗用車では当たり前の前輪駆動もターボもサーブが先駆者だった。
家に昔のサーブの広告がある。小さいけど普通じゃないと書かれていて、前輪駆動だからと理由を述べている。ラリーでも大活躍した。
しかし、弱小メーカーの哀しさか、その後あまり進化せず、逆に昔ながらの変わらぬ佇まいが愛される車になった。

映画のサーブ900はまさしくその典型だ。
バブル時代にこのレトロ感(この時代の流行語)が大人気だった。

昔のサーブ96の広告。たぶん1966年頃のもの


物語とともに、主人公は座る位置を変える

主人公はこのサーブに長年乗り続けている。
映画の第1幕では、自分がハンドルを握り、妻が助手席に座る。
真面目な主人公は家庭をしっかり運転できていると思っているようだ。
しかし、妻には秘密があった。
それに気づいても何もしない主人公。その妻はある日急死してしまう。

映画の第2幕で、主人公は仕事の都合により、この大切な車の運転を若い女性に託さざるを得なくなる。彼は、愛車の後部座席に座ることになる。
最初は不満気だったが、やがてこの女性がプロであることを理解すると、後部座席が仕事場の一部になるほど信頼を寄せるようになる。

映画は第3幕に入る。運転を任せた女性ドライバーの生地へと向かうロングドライブ。ここから、主人公は助手席に座るようになる。
仕事ではなく、この女性との私的な旅に出ているからだろう。
広島からスタートした車は北海道に入った。
白い雪で覆われた北海道を走る真っ赤なサーブ900。
ここに来て、なぜ、監督が赤を選んだかがわかった(原作は黄色)。
白い雪にはどうしても赤を置きたくなる。
車視点で見た時のクライマックス。

運転席、後部座席、そして助手席へ。主人公の座る位置が映画の3幕構成に合わせて変化していく。主人公の心理の変化が読める。
そして、映画のラストで赤いサーブはこの女性ドライバーのものになるのだ。

不吉な予感。でもハッピーエンド。たぶん‥

この車がなぜ彼女のものになったのか、そのいきさつは描かれていない。
しかし、私にはそれが必然のことだと思った。
この女性がサーブを大切にしていることは画面からよく伝わってくる。
車視点で言えば、いい人にもらわれて本当によかった、そんな感じ。
元サーブオーナーとして、心あたたまるハッピーエンドだ。

この映画はあまりに喪失が多かったので、ラストがゴダールの「軽蔑」みたいな事故で終わるのではないかとおそれていた。
監督が赤い車を選んだ理由が「軽蔑」にインスパイアされたのでなければいいのだが、と思った。
杞憂に終わって本当によかった。

物言わぬサーブと三浦透子演じる寡黙なドライバーとの関係がよかった。
ジョージ・C・スコット主演の「ラスト・ラン」のように、主人公と車が一体となった名作の誕生だ。

ゴダール「軽蔑」(1967年)の赤いアルファロメオ。
リチャード・フライシャー「ラスト・ラン」(1971年)のBMW


サーブ、その後

さて、私がサーブに乗っていたある日、営業マンから連絡があった。
「サーブが倒産しました」。
サーブというブランドは、いくつかの企業をたらい回しにされたあげく、結局消えてしまったのだ。

でも、古いサーブを大切にしている人が今もたくさんいるのだと思う。
この映画を観て、その思いが強くなった。
やっぱり、この映画はサーブ以外では考えられない。

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