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正解なんてない。BESTを追求する。

人は無意識に白黒思考(2択思考)になる人が多い。誤った二分法が多い。
僕はいつも不思議でならない。

正解か間違っているか、勝ち負けか、善か悪か、賛成か反対か、AかBか、右か左か、ゼロサム、、、正解がないことに不安を感じていること自体が正解のある世界に毒されている証拠。


自分は、小学生の頃から納得のいかなかったことがある。それは、国語の問題に正解不正解を判断するのはおかしいということ。算数は正解、不正解があるの分かる。数字は人によって解釈のずれがなく、答えは明確。でも、国語の問題で正解か不正解か採点されるのは意味が分からない。漢字の読み書きは正解不正解が明確にしても、文章問題などはそもそも正解か不正解なんて決められないですよね?作者や先生の主観でしかなくないですか?僕はずっとそう思っていた。

余談ですが、この頃から選択肢を与えられることに違和感があり、提示された選択肢の外に自分の進むべき道を求めていたような気もします。。



選択肢を減らすべきものと選択肢を決めないものの両方がある。

選択肢を減らすものは、ルーティン業務、オペレーション、ゴールが明確に決まっていること、人が考えるべきでないことなど。

2択にすることは、選択者を楽にさせる。選択肢がなく考えることはとても労力のかかることであり、選択肢を少なくすることで考える労力は削減される。選択肢が多いことは、時間が掛かる。間違える確率が高まる。だから、2択(選択肢を少なく)にすることはオペレーションを最適化するには最良の方法論であると思っています。

選択肢を決めつけないものとしては、イノベーション、ゴールが明確でないものなどかな。それは選択肢があることで思考の限界をつくってしまうから。

選択肢を減らすもの、選択肢を決めないものを仕分けしながら、判断するべきなのに、大勢の人が、正解論(2択論)に毒され、何事も誤った二分法で考え過ぎ。2択論ですべて解決できるのであれば、頭の良い人から順番に人生うまくいくはずです。その順番でしかないはずです。勉強できない順番は上手くいかない順番になります。そんなことはない。


そもそも、人生に正解なんてない。正解か不正解か。あくまでもその問いの答えは結果でしかない。人生は結果ですか?人生の結果が出る時=死ぬ時に分かる。死ぬときに「正解!」と言われてもどうしますか?どうでもいい。

学生時代の勉強がそうさせるのかな。常に〇(正解)か✖(不正解)を採点される世界。そこに△はなければ◎もない。常に正解と不正解を求められる環境に慣れてしまい、自己表現が抑圧され、あたりまえになってしまっているのかな。

AかBかと問われたら、A+BでCという選択肢はないか。
右か左かと問われたら、そこで真っすぐ突き破っていく道はないのか。
勝ちか負けか、Win-Winの方法はないのか。
賛成か反対かではなく、自分の意見はなんなのか。

白か黒かではなく、グラデーションという考え方。
AかBではなく、統合という考え方も出来るはずだ。
「正解」を追求するのではなく、常に「BEST」を追求しよう。

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