推し事とは「betする」ということ

推し事についていろいろと書いてきました。通しで読むと、ちょっと矛盾してる部分があるかな、という気もするのですが、でも、その時々の気持ちを書いています。
考え方は、千差万別。正しいも間違えもないと思うし、その人それぞれの正解と正義を大事にすればいい。そのように私は思っています。

「推す」ということは「bet」(賭ける)するようなものなんじゃないかと最近よく考えています。賭けごとに例えることは適切ではないかもしれないのですが、私の個人的な感覚の中ではそれに近い。
お金を賭けるというよりも・・、まあ、お金を使うことは大事なポイントではあるのですが、それよりももっと精神的なもの。自分自身のこれまでの経験から得たもの。自分の心の中に占める割合。気持ちの中にある大切なもの。限られてる時間。そういった有形無形のものを、betしている。

得られるものは、ライブパフォーマンスから得られる感動。チャレンジしてステップアップしていくことを見守ることで感じられる嬉しさ。共闘から感じる臨場感。物語を共有する記憶。他の人からすれば些細なことでも、それをとても嬉しいと感じられる出来事。
そういったものは、ひとつひとつ違っていて、他人と比較することのできない、個人によって、一人一人にとっての唯一無二なもの。
推し事って、大切にしているものをどれだけ大切にできるか、ということでもあると思うんですよね。

賭け方は、いろいろとあると思うのです。リスクを分散して複数にbetするというのは、むしろ一般的なのかもって思います。DDと呼ばれる方々は、これに該当することになる。このような張り方ができる人は、楽しみ方を知っているといえるのかもしれません。

ただ、私は、ひとりに全部。すべてまるっと張りたい。後先とかどうでもよくて、考えとかなして、直感がそうしろっていっている。
ごくごく一般のひとりの人間が、全賭けしたところでさほど意味はないかもしれない。でも、たとえそれが小さくても、メッセージにはなるんじゃないかって思っているのです。


かなり昔の配信なんてますが、私の推しの彩木咲良さんは「うちらのファンは単推しが多いと思う」って発言したら、ほかのメンバーから全否定されるという出来事があったんですよね。
否定されるところで、あらら・・・ってなってしまったんですが、私には、それがすごく嬉して。
よくよく考えてみると思い浮かべるさくちゃん推しは「彩木咲良さんしか!」という人が、比較的多いように思える。
メッセージとして伝わってるというようにも実感できて、推しとの繋がりをリアルに感じられるできごとでした。

推し事にたとえるようなことに、不快を感じる人がいるかもしれませんが、「人生はギャンブル」という言葉があるくらいですから。
ただし、推しは「人」。人間に賭ける訳ですから、慎重に。あらん限りの想像力を持って大切に、大事にしていけたらと思っています。

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