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推し事とは「推しをどれだけ大事にできるか」ということ

アイドルの現場に通うようになって3年半。当初は、アイドルオタクっていう自覚はなかったんですよね。
そもそも「推し」とか「推しメン」という言葉が理解できずにいました。「メン」という言葉に何か男性をイメージしていましたし。

いろいろとオタクをやってきた私ですけど、アイドルオタクは、ちょっと他と比べて独特なものを感じます。オタクはひたすらひとりで「好き」を突き詰めていくもの。オタクという言葉自体、好きな人同士が会話をする時に「おたくはどう?」みたいな微妙な距離感のやりとりに由来されるもので、他人とさほど関わらず、個人でひたすら趣味の世界に没入するもの。
でも、今はSNSを使ってアイドルの情報を収集して、さらに応援するという、本来ならばオタクがもっとも苦手とするコミュ力が試されるみたいな感じになっている。

でも、基本的なものは同じだと思うんですよね。
大好きになる。没入する。そういう意味では、オタクの本質的なところは変わらない。

推し方は人によってさまざまですが、推しを如何に大事にできるかということ。
推しと関わっていくことで、沢山できる思い出や出来事は、ひとりひとり違うわけで、そういう意味ではすべてが特別なんだと思います。
なので、他人と自分を比べると、とてもややこしくなってしまう。そもそも、違って当然なわけですから。

ついつい、比べてみたくなってしまったり、自慢したくなる気持ちは、ごくごく自然な心理だと思います。ただ、SNSで自慢しすぎるとそれが優越感に受け取られかねないという危険が常にある。
「うらやましい」というワードも同様で、そのようなものがトラブルを招く要因になってるって感じています。

自己顕示欲とか承認欲求は、ごくごく自然な気持ちです。基本的な欲求なわけですから。しかし、その欲が大きくなりすぎるとややこしいことになる。推し事とは相容れないものになってしまう。
タイトル画につけた「推しは生きてるだけでファンサービス」という言葉が言い得てると思うのですが。

推しと会うために準備をするというのがとにかく楽しいんですよね。強いて言うなら、文化祭の準備に近いものがあるでしょうか。準備をしてると一日があっという間に過ぎてしまう。ひとえに、ほんの僅かな時間、推しに喜んでもらうために準備する。
でも、それが自慢のためだったり、承認欲求を求めすぎると、やってることが同じでも意味合いがまったく違うものになってしまう。推しにもそういったものが伝わってしまうかもって思います。

それと同じようにツイッターで、推しの良さをツイートして、知り合いが増えていくというのも自然なことです。しかしそれが、自己顕示欲を満たすためのものになると、また意味が違ってきてしまう。
本人は推し事のつもりでも、そういう部分が見え隠れすると、まず人間関係が広がることはないんじゃないかと思います。推し事は、推しとの一体一との関係性であって、お友達を増やすものでもなければ、承認欲求を満たすものではない。

ツイッターは、誰もが見られる場所。運営や推し、推しの家族が見ている可能性もある。
そういうことを想像すると、たとえば、推しがロケで寝たベッドに入りたいとか、配信中のメンバーの表情のイマイチな写真や、分断した写真というような、不快感を与えるツイートは、どうなんだろう?と正直、思います。 
また、イベントで女性にLINEの連絡先を聞くとかといった行為は、もはや、推し事からかけ離れていますね。もちろんグッズを作って売って儲けるという行為も。
そして、行なった行為というものは、取り返しがつかないものです。

「推しが尊い」という言葉は、3年半前はまったくピンときてなかった私ですが、推しは本当に尊いもの。とても大事なものです。
推しが元気で、仕事が充実してて、目標を目指して頑張ってくれて、幸せでいる。輝いてくれる。
ただそれだけを、願っています。

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