推し事における「認知」のこと

アイドルオタクをやってると、なにかと話題になるのは「認知」。認知されたとか、認知切れとか、よく聞きます。認知って言葉を聞いて、私自身、すごい違和感があって、認知っていうのは「この子はあなたの子なのよ!認知して!」という修羅場な状況くらいにしか一般的に使われないんじゃないかと思って。でもよくよく言葉の意味を考えたら「知ってもらい認めてもらうこと」ということになりますから、なるほど正しい。アイドルオタクの言葉はすごいな、って改めて実感してしまうわけですが。

私自身、自分の推しには認知されてるようですが、かれこれ2年くらい話せてないので、認知切れされてるのかなぁ・・・とも思うのですけど、正直さほど気にしてないというか、そもそも、覚えられようとはまったく思ってなかったんですよね。もんじさん、そんなことないでしょとツッコまれそうですけど、いやいやいや。私が行ってる現場は限られてますし。行っていない現場の方がむしろ多いし。一応、現場では同じ服装いるよう心掛けてはいまたけども、どちらかといったらオタク側にむけての情報発信。私自身、人の顔を覚えるのが極端に苦手なので、そういう配慮ってあった方がいいのかな、推しは誰かを分かりやすくアピールした方がいいのかなって思ったからのこと。

私の推しである、元たこやきレインボーの彩木咲良さんは、昔のインタビュー記事で自分のクラスメイトを覚えるのが苦手、たこ虹のメンバーすら覚えるのに時間が掛かったというほどなので、むしろ、覚えていただくなんでおこがましい。そんなふうに思っていました。極度の人見知りであることも知っていて、でも、私自身が人見知りだし、昔、コミケで同人誌販売していた時、買ってくれた人の顔を一人一人覚えてることなんでできなかったよなーということも思いましたし。

でも、あれ?覚えられてる?って感じられるようになったのは、現場に通うようになって一年を過ぎたあたりから。ハッキリとではなく、あいまいなフワッとした 覚えられてる?っていう感じは面白いなぁって感じました。

推し事をしてると不思議なことがたまに起こるようになって、写真やグッズを買ったら、推しのサインが当たったり、偶然と呼ぶには出来すぎな、些細なことといったら些細なことなんだけど嬉しく感じる出来事があったり、普通だったら見逃してしまうような、他の人だったらスルーしてしまいそうなことに嬉しさを感じたり。認知というものは、そういったものの延長にあるものなんじゃないかって思います。

推しは思う以上にいろんなものを見ている(かもしれない)。現場でもSNSでも見ている(かもしれない)。ツイッターやインスタのリプライも見ている(かもしれない)。

推しの未来と、推しと自分との目には見えない関係性を、どれだけ信じられるかが大事なのかなぁって思っています。

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