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怒鳴って泣いた、高3の夜

Eテレの『2355』を観て、とっても心が穏やかないたばしです
最近はがやがやした番組からEテレに逃れがちです
完全に締め切りを守れない人になっていますね。ごめんなさい

さて、今週のテーマは「人生で一番怒ったこと」
こんな穏やかな気持ちに一番そぐいませんが、頑張ります(笑)
ちなみにヘッダー写真は、少し前に行った犬吠埼での写真です

私と怒り

もともと自分は怒りっぽい性格だと思っています
「なんでそんな言い方をするんだ」
「バカにしないでほしい」
少しでもとげのある言動を見ると
ふつふつと怒りを感じてしまうことが多い
日記なんか見返すと、笑えて来るくらい怒ってばっかり
感情がよくわからなくなって、
「あああもう!」と言いながら自転車をこぎまわした夜もちらほら
ただ、表現下手で表情に出にくいから
あまり周りにバレていないらしく、良かったなと思います

そんな私が一番怒ったこと
本当に一番怒ったことはここに書けません(笑)
ここで書ける範囲で、今思い返すと微笑ましい怒りエピソードを一つ書いておきます

私と文化祭

私が通っていた高校は文化祭にかなり力を入れている学校でした
中でも恒例なのが、高校3年生でやる舞台企画
各クラスが舞台をやり、観客からの票数を競います
小さい頃から舞台が好きな私は、入学前からこの舞台に憧れていました
「高校3年になったら自分のやりたいこと詰め込んだ舞台をやってやる」
文化祭実行委員会に入って先輩方のクラス劇を見て勉強しながら、
(舞台係のトップになると授業をサボって文化祭のリハーサルを見られる決まりがありました)
3年生で舞台を実現させるため、緻密に計画を練っていました

結局高3のクラスで脚本・演出をゲット
クラスメイトの協力を得て練習を重ね、結果的に文化祭は大盛況
のどから手が出るほどほしかった最高賞も頂きました

怒鳴って泣いた校舎裏

事件が起こったのは、後夜祭の後のことでした
賞をもらって大興奮のクラスメイトは後片付けもせず、
後夜祭後すぐに打ち上げ会場へ
成功の余韻から抜け出せず、教室に取り残されていた私は担任につかまり、
一人で大きな体育館の後片付けをしていました

心の充実感と高揚感に対して、不眠不休の体の疲れ、そして現状の寂しさのギャップに
少しずつ精神がすり減っていました
片づけを終えた頃には閉門時間を過ぎ、校舎内には私一人。
よろよろと帰っていると、また担任の声がしました

その当時の担任は高校1年の頃から仲の良い先生でした
クラスのトラブルの相談に私が乗ることの方が多かったくらい
ほとんど毎日放課後に話をするような
気弱だけど3年間苦楽を共にした教員でした

だから、「お疲れ様」「良かったね」みたいな言葉を期待していました
私の3年間を知っているから、先生相手ということにも甘えて、
「頑張った甲斐があったね」とか言ってくれるかな、と
でも続いた言葉は違った
「~さんが文化祭後に一人で泣いてたんだけど、原因知ってるかな? なんか話しかけてあげてくれないかな?」

「は?」と思いました
いま、心身ぼろぼろの私に、お疲れのひとこともなく他の生徒の相談かよ!
しかもその子、後夜祭後に楽しそうに打ち上げ会場に行ってましたけど!
私、校舎内たった一人で片付けしてたんですけど!!
心の中で毒づき、担任の言葉を無視して走り出しました
もう疲れた。楽しかったのにぶち壊しだ。最悪。帰りたい。

何かに感づき、名前を呼びながら走って追っかけてくる担任
追いつかれて「おい、どうした」と言われた時、私の感情の堰が決壊しました
「なんでこんな時にお疲れ様のひとことも言わないで相談事なんてするんだ。
私だって生徒の一人なんだから、今日くらい嬉しかったって気持ちに浸りたいのに
先生のバカ、大嫌い、最悪、なんもわかってくれない」
親にも言ったことのないような幼稚で支離滅裂な言葉を並べ、
泣きながら怒鳴りました
人前で泣いたことも、あんなに怒ったことも人生初めてだった
何が何だかわからなすぎて、正直何を叫んだのか覚えていませんが
仲のいい生徒に急に泣かれて驚いた担任の顔と
その後めちゃくちゃ謝られて慰められたことは忘れません

土産話

少し前、その先生と居酒屋へ行き、その頃を回顧しました
もう一回謝ったあと、
「教え子にあんな泣きながら嫌いって怒鳴られる経験これからも無いよ」
と笑いながら飲んでいました
いまもう一度あの時に戻っても、何回戻っても怒ると思うけど、
若さ故の感情の爆発を受け止めてくれた先生には、感謝しかありません

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