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読書のきっかけ

元々、全く本を読まない人間だった。

高校時代の現代文のテストで、課題図書があった。教科書とはまた別のもので、事前に読んでおかないとテストの内容が全く分からず、苦労するというものだ。たった今、タイトルをパッと思い出した自分自身に驚いているが、「やさしさの精神病理」という本だった。その本を1ページもめくらず、一切触らずテストに臨んだところ、何故か80点代後半の点数を取った。なんとかなるものなのか、と調子に乗り、次も全く読まずにテストを受け、10点くらいの最低点を叩き出した。優秀でも何でもないのにぶっつけ本番でテストに臨んだらそうなるに決まっている。読む必要のある本ですら避ける、要はそのくらい本を読まなかった。

そんな私でも、大学になって、東野圭吾を読む機会があった。当時好きだった女性に勧められたとか、そんなきっかけだったような覚えがある。最初に読んだのは秘密だったと思う。秘密自体はまあ面白いかな、くらいの感想だったが、数冊読んでみるうちにまんまとはまってしまった。古本屋で買い集め、文庫化されていたものはほぼすべて読み漁った。並行し俳優の山田孝之にも心酔し始めていたため、白夜行や手紙の映像化には大変心を動かされたものだった。


それ以来、本を読む習慣が出来た。量や質、内容が充実しているかどうかといった視点で考えればたいしたことは無いし、年々読む時間やペースは落ちているが、それでも読書自体は好きである。吉田修一、石田衣良、さくらももこ、吉本ばなな等が好みだ。最近は村上龍ばかり読んでいる。彼は人の希望を書くのが抜群に上手いと思う。それもかけ離れた理想や夢みたいなものではなく、平凡な人の心に刺さるような、ありふれた等身大の希望だ。読んでいて胸が熱くなるし、勇気をもらえるし、泣ける。


少し話は変わるが、父親が私の本棚に並べている文庫本を読み始めたことがあった。私は父親をはじめ家族が嫌いな子供で、ろくなコミュニケーションも無い家庭環境だったため、自分が好きなものの影響を父親が受けていることに何か変な感覚があった。少なくとも良い気分では無かった。父親は典型的な仕事人間で、家に居るのは週末だけ、その週末も部屋でずっと仕事をしているような生活をしていた。そんな状況で読書する余裕がどこにあるんだと思っていたが、入浴時に読んでいるらしく、勝手に風呂まで本を持ち込んでは長いこと出てこなかった。だが普段風呂で寝てしまうような人間だったので、読書中に寝落ちして湯舟に本を落とすといった事態が頻発した。父親が読んだ本はだいたいふやけて形が変わってしまい、すぐわかるようになった。当時はそれが非常に嫌だった。


久しぶりにこんなことを思い出したが、数少ない父親のエピソードとして結構面白いなと思った。今になって本人とこんな話もしてみたいと思えるくらいになったが、父親は4年前に他界している。家族というものをどう考えていたんだとか、命をすり減らすくらい仕事が楽しかったのかとか、聞いてみたいことが結構あるが、もうどうしようもない。

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