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枠と役割

三次元において「枠」と「役割」というのは結構重要です。生きていくためにはなんらかの「枠」にはいることが多いですし。「枠」に入ればそこにはルールと役割が生じます。

なぜルールと役割が生じるのか?といいますと。それこそが「枠」を作るために必要な境界線を生み出しているからです。

なんのルールも役割もない集まりとは、出入り自由であり拘束力を持ちません。その場合そこは単なる「場」でありそこに集まるのは,同じ枠内の人ではなく、偶然その場に居合わせた人達ということになります。

「枠」にはルールと役割がありますから窮屈に感じることもあるでしょう。というかその窮屈さのために「枠」はあるのです。窮屈さとは「拠り所」でもあります。あえてそこに所属してルールという制限と自分の役割があるからこそ「枠」を自分の居場所と認識することができ。だからこそ「枠」に参加していることを認識し窮屈に感じることもある。ということです。

窮屈さに文句を言えるのは窮屈さが目の前に立ちはだかるからであり。何もなければ文句を言う相手もいないということですね。「どうぞご自由に」ということです。

まぁもちろん「人間」や「日本」などの大きな「枠」の場合、抜けることによる弊害の方が大きく感じる人も多いと思います(笑)自由というものもなかなかに大変なものではあるのです。

「枠」にはルールと役割がありますが。枠を抜けるのは自由です。自分には関係ないと本当に理解したら「枠」から抜け出すのは非常に簡単なことです。とはいえ「枠」を抜け出すというとは「枠」の恩恵も手放すということです。

「枠」を憎みながらも「枠」から抜け出すことをしないのは、無意識のうちにその恩恵と窮屈さを天秤にかけて「枠」の中に居続けることを選択しているか。「枠」の中にいることが当たり前すぎて抜け出すこと自体想像もできないか。のどちらかです。

これらの選択というのは、何を選んでも善悪優劣などはありませんが。意識的になる。ということは選択するためには必要不可欠です。

「枠」の中でルールを変えたり役割を変えたりすることに力を注ぐか?「枠」自体から抜け出すことを考えるか?これらの選択が出来るようになるためには「枠」に意識的になる必要がある。ということです。


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