神さまの時間
他市へ通院。
雨が強くなったり止んだり。
星野源の「不思議」のMVを観ていたら、ひとりで生きていく道の途中で誰かと一緒に歩き出す不思議を考える。
淡い夕焼けとかひとりで歩いて行くと先に何があるのだろう。
日々を過ごす中で何を見つけるのかな。
数日前に分かったことだけど
現状に満足していたら脚の骨壊死さえ前向きに考える力があるかも知れない(たぶんないけど)。
人の幸福感がコミュニティ内で同じ希望を持つ仲間との働きから得られるのみならコミュニティを排斥されたら終わりか?
果たしてそうか?
現状と頭が解離するなら何が見える?
人の一生は地球の大きさから見たら屑より小さく無意味だけど、
日々を繋ぐ小さな命は確かにここにある。
現状が自分を苦しめるけど、あえて何かを自分の中には探さない。
何かが不思議に現れる時を待つ。
起きても起きなくても、それは神さまの時間だ。
受けた傷は治らないかもしれない。
長い時間が必要だそう。
もう残された時間はたくさんはないから。
たとえそうだとしても、神さまの時間はわたしの頭とは違う流れなんだろうな。
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