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初めまして!モニカみなみです^^💖その1

まずは、自己紹介をば⭐️

よかったらぜひ、おつきあいくださいませ♪


ベリーダンサーのモニカみなみです🦄✨

呼び方は、モニカでも、みなみでも、なんでも好きに呼んでくださいまし^^

ベリーダンス歴は、もうかれこれ12年くらいになります。

飽き性の私がここまで続いているものは、本当にベリーダンスくらいです。

それくらい、このダンスは不思議な魅力に溢れています💃✨


わたしは1989年の4月生まれです。牡羊座です🐏✨

なんでも最初にやりたがります、火星の仲間です🔥✨

なので、血の気が多いです🔥笑

あ、熱いって意味だよ^^;!!!笑

思いとか、ダンスとかにね。



ベリーダンスを始めたきっかけは・・・・

ちょうど、20歳になる前の年、だったかなあ

家族でドバイやトルコに旅行に行ったんですね。

初めての中東だったので、そりゃもう、アラジン大好きだから

テンションがぶち上がってたわけです^^💖


そして、ドバイという国はですね、

大きな大きな、そりゃもう、広大な砂漠があるわけです。

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△本当に、こーんな感じの砂漠だよ^^


そこで!!!


砂漠の真ん中で、ベリーダンスを見ながらご飯を食べれるツアーがあって

初めて、生まれて初めて、ベリーダンスを見ました。


初めて見たはずのダンス、異国の踊り、ベリーダンス・・・

本場では、ラクス・シャルキーと言います。


それなのに、なぜか

『私はこの踊りを、ずっと昔から、知っている・・・』

と思ったのです。


一瞬で恋に落ちました。

本当に、もう、ベリーダンスのことで頭がいっぱいで、

寝ても覚めてもそのことしか考えていませんでした^^;


そして帰国後、

『本場のベリーダンスを学びたい!!!』

と思い、

日本にある、いろんなベリーダンス教室を回りました。

しかしながら、

本場で見た感覚と、日本で踊られている感覚が、

なぜか、わからない・・・

何かが、違う・・・

という思いがあり、結局は、独学で学び、踊り始めました。


とは言っても、

その当時は、ベリーダンスが流行り始めた頃。

ダイエット効果なども注目されており、

いろんな海外のスターダンサーたちが、来日していました。


今思えば、なんと良い時代だったのでしょう・・・^^;

とにかく、ピンときたダンサーの元へ足を運び、

ワークショップを受けたり、

実際にトルコへ足を運んだりして、

たくさんたくさん、学びました。


ベリーダンサーとして、駆け出しの頃

ベリーダンサーとして駆け出しの頃、

とりあえず、レストランショーや、いろんなイベントで踊ろう!

と思って、活動していました。

とにかくオーディションを受けまくり、

ピンときたイベントの主催者の方とお話をさせていただき、

そのうちにだんだんと声をかけてもらえるようになり、

たくさんのショーやイベントで踊りました。

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△サズ奏者の大平さんと🎶

毎年、自分でショーを企画していた時期もあります。

とにかくとにかく、踊り三昧!!な毎日を送っていました^^💖

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△自分で舞台を企画していた頃^^



ベリーダンサーとしての転機、わたしを変えたあるサラリーマンの話

そう。とある企業パーティーで踊っていた時のこと。

いつものように、企業様のパーティーとのことで、

普通に踊っていたんです。

そしたらね・・・^^;

まあ、まるでわたしに興味がなかったのかほぼガン無視状態だったんですね・・・^^;

あの時の光景はよく覚えています。

だーれも、、本当に、だーれも、私のことを見ていない。。。

アウェー感というのは、この時までには結構味わったことがあったのですが、ここまで、アウェーだったのは、今にして思えば、この時が最初で最後かもしれません。。。

とにっかく、とにかく、悔しかった・・・

ただ、一つ、希望が!!!!!

実は、その時たった一人だけ、サラリーマンのお兄さんがわたしの踊りを真剣に見ていてくれました。

もう、椅子に座っているのに、その上で正座しそうな勢いで、

とにかく真剣な眼差しで、私の踊りを見ていてくれました。

私はその時、決めました。

彼のためだけに踊ろう!!!

すっごく悔しいし悲しかったけど、とにかく彼のために最高の踊りを踊ろう!!!と思って踊ったら、彼は最後、泣いていました。

嗚咽のような、もう号泣。一体彼に何があったのかはわかりませんが、わたしはその時の悔しさを今でも覚えています。



そこから一念発起!!!!!

そこから自分でダンス人生に箔を付けることと挑戦するために、エジプシャンの本気のすごい先生のところに行きました。

ここでの学びは本当に目から鱗、で、とにかく厳しい先生だったけれども、愛情たっぷりの方でした。

そしてそこで3ヶ月、みっちり特訓をし、韓国での大会に出ました。

とにかく筋トレとジョギング、踊り、の毎日。

毎日毎日レッスンに通い、先生と色々な話をしたりして、

エジプシャンスタイルとは何か、ベリーダンスとは何か、エジプトの文化とは何か・・・ということを、とにかく、もうそれ一色で暮らしていました。

私はその当時、インドカレーのお店でバイトしていたので、昼間はインド人と交流、夜はエジプト人と交流、で、正直頭がわけわからなくなっていたと思います^^;笑

非常にエキサイティングな毎日でした。


そして迎えた大会の日✨

500人規模の大会、日本人はわたしを含め8人くらい??

韓国ってベリーダンスが盛んでやばいんです。バレエみたいな感じでちっちゃい頃から習い事としてやらされる、親も本気っていう世界。

まあ日韓問題からなのかわかりませんが、醤油をかけられた子もいました^^;

本当はその時、前日に壁に足をぶつけて足の爪が真っ二つに割れて血まみれだったんですが、先生に言うと多分怒られるので内緒で踊りました^^;

そしたらなんと優勝してしまい、びっくり。

親にも電話して、『なんで優勝したの?』って言われる始末。

それ、わたしが一番聞きたかった・・・^^;

とにかく、びっくりと、喜びと、狂気?的な気持ちと、いろんな思いが混ざったような経験になりました。

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△試合後は、美味しいプルコギをお腹いっぱ〜〜〜〜〜〜い食べました💖

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△審査員のランダ・キャメルと。



それからしばらくして・・・

それからまた、しばらく経った頃、

私は大会で燃え尽き症候群になってしまったこともあり^^;

先生と、今後のビジョンもずれてしまっていたため、

また一人になりました。

一人で学ぶ方が、いい。性に合っている。

と、どこかで思うところが、いつもあるのでしょう。

また、ベリーダンスの旅を始めることになりました。


ちょうどその頃、

働いていたインドカレーのお店では、店長のポジションに。

その時の料理長に、一緒にお店を出さないか、と誘われていたので、

『自分自身や、自分のように踊りたい!という気持ちがつよい、というか夢を持って頑張っているダンサーが踊れるようなお店を作りたい。』

と考えるようになり、

一緒にお店を出すことになりました。

本格インドカレーのお店

席は28席くらい?だったかな?

結構話題になって、売上もそこそこいい感じにいっていたんです。

ただ、私もあまちょろだったんですね・・・^^;

色々上手く回らなくなった頃に、

詐欺にもあってしまい

お店は閉店することになりました。

流石の私も、

身も心もボロボロになり、

残った借金を返すべく、

スポーツセンターで働き始めました。



台風の日

そう。

あれは、台風の日、でした。

確か、9月30日。

台風が近づいてきていて、東京直撃、の日だったと思います。

なぜだか私は、この日の夜遅く、台風の目に入った瞬間に、

今がチャンスだ!お茶を買いに行こう!

と、自分の家を出ました。

その時、家の廊下部分が、結露で異常に湿っており、

とにかくツルッツルだったんですね^^;

そのまま私は、滑って滑って、

階段の踊り場ですってんころりん

転んでしまい、

腰をとにかく強打。

転んだ後、立ち上がれなくなり、

救急車を呼びました。

とにかく、『これはまずい・・・』と思ったことを覚えています^^;

あ、死ぬんだ・・・

とか、

このまま、一生歩けないかもしれない。

とか、

もう、踊るなってことなのかな・・・

とか、

とにかくそんなことが、たくさん、一気に頭の中を駆け巡りました。



病院について、CTを取ったところ、

なんと卵巣嚢腫という、腫瘍が見つかりました。

しかも大きさは、11センチ^^;

妊娠5ヶ月と同じくらいのお腹の大きさだよ!気づかなかったの?!?!

と先生に言われ、びっくりしました^^;

さらには、自覚症状は全くなかったので、

ほっておいたら、死んでたよ^^;

とも。



こんなに身近に『死』というものを感じたのは、これが初めてでした。

本当にびっくりして、とにかくびっくりして

手術をすることになりました。


なんで、自分の人生がこうなっているのか、全くわからなかった

今思えば、本当に、まったく、わからなかった。


なぜ、台風の日に外に出ようと思ったのか

なぜ腰をぶつけて転んで、寝たきりになっているのか

トイレにも行けず、ご飯も横向きで、手づかみで食べなきゃ行けないのか

私は、カレー屋のオーナー?

それとも、何、ベリーダンサー???


なぜ、ベリーダンサーなのに、お腹を切らなきゃいけないの?


今思うと、大げさな^^;とか思ってしまいますが、

本当にこう思いながら、病室のベッドで、さめざめと泣いたのを覚えています。

とにかく、情けなくて、悔しくて

精神的に、もう、限界でした。

自分は何一つまともにできない、

『負け犬』

そう思っていたことを、今でも、あの感覚を覚えています。

きっと、みんな笑っているだろうな・・・


とにかくそんなことを、ずっと思って、鬱々としていました。

早く手術して、回復して、生きなきゃ!


それだけが、病院にいるときの願いでした。


長くなってきたので、この辺で、一旦切りますね^^

続きはまた次に♫


続きはこちらだよん^^


モニカみなみ






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