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音読してます

読んでも読んでも記憶から滑り落ちる・・・年か。

たびたび「振り子の法則」シリーズから引用させていただいているのですが、
この振り子の法則の本が・・・
別に難しい言葉を使っているとか、著者が量子物理学者だからなんか数式やたとえが出てくるとか、そんなことは全くなく、
具体例も出しながら、平易な言葉でたいへんわかりやすく書いてある部類なのだと思うのですが、
どういうわけなのか、読んでも読んでも内容を忘れる・・・
(実はこの本だけでなくすべての本がそうなのですが。)

読み直せば、ああ、そうそうそう!となるのですが、本当に、しばらくすると忘れてしまい、
少し前にシェアした「ミルクティー飲みたい」さんの動画は、あーあーあー、そうよねー、と膝をバシバシうち叩きながら見ていました。

 せっかく本を読んでも、忘れてしまって、人生に活かさなければ何にもならないやん。

 つい最近辞めた仕事では、
どういうわけか業務にものすごい「重要性」を持たせてしまい、「過剰ポテンシャル」が発生し、それによってたいへんなしんどい思いをしました。

だめやん。
読んでた意味ないやん。


音読をしています

そんなわけで数日前から、「振り子の法則」第1巻を音読しています。
せっかくなので録音ソフトをスマホにダウンロードして声を録音していて、自分用なので言い間違いとかも言い直すだけで修正もしていないのですが(無料でそもそも修正の機能がない)
それでもけっこう声に出して読み上げるのは時間がかかります。

 ちゃんとしたソフトをパソコンにダウンロードして、言い間違いなども修正して、きちんと音読した音源をyoutubeにアップ出来たらとか思ったのですが、徳間書店のHPの「お問い合わせ」の注意書きに「朗読のアップ、ダメ」って書いてあって、しょんぼりです。

キチンと引用のルールを守って、今後もぜひと思うところを引用させていただきたいと思います。

お気楽で明るく愛にあふれる人物でいること

第1巻の大筋は、「ミルクティー飲みたい」さんの動画がものすごくわかりやすくまとめておられて、本当にすばらしいです。

 人生をよりよく「トランサーフィン」していくために、
とにかく過剰ポテンシャルの発生をさけるため、何事にも重要性をもたせず、極端なことはしないのが大切なのですが、
ですが、何十年と生きてきて体に染みついた、慢心や他人との比較する癖、謙遜、罪悪感を持つこと、そして完璧主義など、
振り子にからめとられてまずい状況に陥る原因がなかなか排除するのはむずかしい。
ああ。
 
 

 このように、周辺世界とバランスを保ち、振り子から自由にいるためには、重要性を低くする必要がある。自分自身と周辺世界とをどれほどの重要性を与えながら知覚しているのか、あなたは常に把握していなくてはならない。内なる見張り役をうたた寝させてはいけない。重要性を与える度合いを低減させることで、あなたはすぐに平衡状態を得られ、振り子の方はあなたを監視下に置くことができなくなる。なぜなら、空っぽの状態では、しがみつくために必要なとっかかりがないからである。あなたは次のように反論するかもしれない。でくのぼうになったままずっと長くはいられない、と。感情とはまったく無縁の存在になれとか、感情の振幅を抑えよ、などと私は呼びかけているわけではない。だいたいにおいて感情と格闘すること自体が無益であり不必要でもある。もしあなたが自分自身をしっかりコントロールしようとして、外見上は平静を装っても、内面が煮えたぎった状態であるならば、過剰ポテンシャルはますます強まる。感情は関係によって産み出される。そのため関係を変えなければならない。感情や気持ちは結果に過ぎない。原因はいつも一つのところにある。
(中略)
 動植物の世界、それに自然界全般においては、重要性という概念がない。あるのは、平衡の法則を履行する観点からの合目的性(訳注:何らかの目的にかなっていること)だけである。人間と一緒に暮らす愛玩動物に限っては、自己重要性を与える感情が現れるかもしれない。人間社会はそうした愛玩動物にも何らかの影響を及ぼしているだろうから。そのほかの動物の行動は本能のみに基づく。重要性を与えることは、振り子を喜ばせるために人間が発明したものである。外的重要性を与えることが極端に偏ると、狂信者を作り出す。内的重要性を与えることが行き過ぎると、誰が頭に思い浮かぶだろうか?手前勝手が過ぎる人だろうか?
 こうした状況では一歩踏み出すことさえ恐ろしいという印象を持たれたかもしれない。幸い全部が全部これほどひどいわけではない。平衡力があなたに対して顕著に作用するのは、あなたが自分の考えに強く縛り付けられたり執着したりして、本当にやり過ぎたときだけである。振り子との関係はすべて明らかになっている。私たちは皆振り子の影響下にある。大事なのは、どのようにして振り子があなたを服従させようとするのか。あなたは振り子がどのあたりまで立ち入ることを容認するのか、きちんと把握しておくことなのだ。
 重要性を低くすると、あなたの人生における問題の数がはるかに減るだけではない。内的重要性や外的重要性から縁を切ると、あなたは選択の自由という宝物を手に入れることができる。トランサーフィンの最初の原則に従えば、私たちは選択する権利を持っているのに、なぜまたここでそれを、とあなたは疑問に思うかもしれない。選択する権利を持っていることは持っているのだが、しっかりとつかみ取ることができないこともある。平衡力や振り子がそうさせないのだ。重要性を与えるお陰で、一生平衡力との戦いに明け暮れてしまう。自分で選択するエネルギーが残されていないどころか、自分自身が人生から何を期待していたのか、考えるエネルギーさえもなくしてしまう。振り子の方といえば、コントロールしてやろう、あなたと無縁の目的を押し付けてやろうとして、常にチャンスをうかがっている。そんな状況で、どんな自由があるというのだろう。
 内的重要性や外的重要性とはすべてこじつけられたものである。私たちは皆この世界でまったく何の意味も持っていない。そして同時に、そんな私たちはこの世界のすべての豊かさに手が届くのである。波打ち際で楽しそうに水遊びをする子供たちを想像していただきたい。その中の誰一人として、あの子は良い奴悪い奴とか、水は良い悪いとか、ほかの子たちは良い悪いなど思っていないとしよう。こうした状況が維持されている間は、子供たちは幸福であり、自然とのバランスが保たれているわけである。どの人も自然がもたらした子供としてこの世に生まれ落ちた。もしその人が平衡状態を乱したりしなければ、この世界にあるすべての素晴らしいことに手が届く。しかし、人が重要性を与え始めた途端、問題が現れ出る。その人には、目の前に現れた問題と自分でもたらした重要性との間の因果関係が見えない。そのため、その人にとっての世界は、最初から敵対的な環境であり、望んでいる者が簡単には手に入れられないところだと思える。だが、本当は、望みの実現に続く道における唯一の障害は、人為的にもたらされた重要性なのだ。この問題について、私はまだあなたを納得させてはいないかもしれない。しかしながら、私が語り尽くすまでには、まだ遠い道のりが残されている。

ヴァジム・ゼランド著 振り子の法則トランサーフィン 腸スピリチュアルな夢実現/幸福獲得法
第4章バランス  重要性 P218-222

 


 でも、自分の人生を満足して生きている人って、「重要性」から自由で、傍からみても好ましい人なんだろうなって思いますよね。

 
 何事にもあまり深刻ぶらずに、ポジティブで、肩の力が抜けていて、他人のことを悪く言ったり気にしすぎたりすることなく、自ら他人の評価や賞賛を求めず、偉ぶりも謙遜も卑下もせず、無用な自己犠牲とも無縁で、人を傷つけないしゃれたユーモアが言えて、ガツガツ何かや誰かに執着したりしていなくて、自分が楽しめることで自分を活かして自分の人生を豊かに楽しんでいる。決して何かにしがみついたりせず、自由である・・・

そして余裕や遊びがある感じなのに、
まなじり上げてゴリゴリ頑張っている人と比べて、能力もすぐれていて、ピンチが訪れてもなんとかなって、なんだかなんでもうまくいってしまう・・・

なんか、所ジョージさんとか高田純次さんとか、
お気楽でいつも笑顔で、周りともうまくいってそうで、自分の好きなことを目いっぱい楽しんで、敵も作らず徒党も組まず、自由に生きてるって感じですものね。


「ユーモアの感覚、自嘲する能力、そして、侮辱にならない程度に悪気なく他者を笑う能力などは唯一過剰ポテンシャルを作らない。こうした能力を備えていれば、あなたが無感情のマネキンになってしまうことはない。ユーモアとはそれ自体が重要性をつけて物々しくすることへの否定であり、風刺画はもったいぶった重要性こそをテーマとしている。

ヴァジム・ゼランド著 振り子の法則トランサーフィン 腸スピリチュアルな夢実現/幸福獲得法
第4章バランス  戦いから平衡状態へ P225-226

 

自分を笑える肩の力が抜けた魅力のある人は、息が長く愛されている感じがしますね。
そして笑いは取っても、「笑われている」ダサさやイタさはない。

逆に、 
重要性にとらわれてうまくいってない状態の人は、
ひょっとしたら周りから見て
ダサかったりイタかったり暑苦しかったりイケてなかったり違和感があったり過剰だったり人に気を遣わせたり調子に乗っているように見えたりするかも。

・・・なんか、周りが見えていない感じ。


いや、また「自己卑下」するのはダメってわかってるけど、
私はまさに「うまくいってない状態」の人かも・・・。


自分の魂が喜ぶ方向を選択し意図をもってすすめば、心配しなくても必要なものはついてくるらしい。
お金とか。チャンスとか。
 
 でも、今まで学校や職場その他でさんざん振り子の言いなりになって各種重要性を叩き込まれてきた私の理性はなかなかそれを許そうとはしない。

 この本の内容をいつも心に留めておけるようになって行動がかわれば、人生も変わってくるかしら。

 せっかく以前よりは注意深くなって、
水風呂にも入り始めて、
さらに心がゆさぶられたり波立つことは少なくなったけれども、
それでもふいに不安に思ったり罪悪感に感じたり、
「ああ、これが振り子につかみかかられるポイント、引っ張られる糸になりうるな」と思う点はまだまだあって。


 「内なる見張り役」を心にすまわせて、少しづつ変えていこう。

そして「世界は私に甘く優しい」と実感できるような人生ラインにトランサーフィンしていこう。

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