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3年ぶりの山王さん

富山市の初夏を彩る風物詩といえば、6月1日に開催される日枝神社の春季例大祭「山王祭」である。

「山王さん」という呼び名で富山市民に親しまれている祭には、毎年700を超える屋台が日枝神社を中心に総曲輪、西町、中央通りなどに軒を連ね、同市中心街は浴衣を着た人や学校帰りの小中高生、親子連れなどで賑わう。

と言うか、ごった返す、が正しい表現か。

日中は中心部各商店街の神輿が街を巡行、威勢の良い掛け声で神輿を引きまわし、祭のボルテージは否応なしに高まっていく。

夕方になると、日枝神社の前に参拝者の列がずらずらと連なり始める。境内を一言で表すと「ぎゅうぎゅう詰め」。参拝者はじりじりと額から汗を垂らしながら、押し合いへし合いつつ拝殿へ進み、それぞれの願いを込めて只々拝む。

日が沈むにつれ、屋台で売られていた蛍光の髪飾りやドリンクホルダーが、若者を中心に周囲に流通し始め、あちらこちらでけばけばしい光を放ち、梅雨入り前の祭の夜を花めかせる。

そんな熱っぽい賑わいが醍醐味の「山王さん」であったが、コロナによってここ2年は神事のみとなり、祭の開催がなかった。

昨年の6月1日、開催中止なのを知りつつも往時の雰囲気を感じたかったオレは、その日の夜に富山市中心部を歩いてみた。

人気のない、明かりの薄い、音のないアーケード。

日枝神社のライトアップした鳥居以外、真っ暗闇の参道周辺。

もうあの賑わいは戻ってこないのではないか、密な祭だから、ニューノーマルな暮らしとやらになればもうできないのではないか、一歩踏み出すごとににそんな悲観的な考えが鬱積していったのを覚えている。

そして今年春、人流の制限が解除されてコロナ前の落ち着きを取り戻しつつある中、山王祭が規模を縮小しながらも開催するというニュースを知った。

と同時に、オレの所属する青年団体で同祭の神輿担ぎ手を募集しているのを耳にした。

「ええっ!今年開催するんだ!しかも神輿も!担ぎてぇつ!」

心の中で叫んだオレは、迷うことなくすぐに参加を表明した。

この2年間で溜まった鬱屈した気持ちを晴らしたい。賑やかな祭の雰囲気を最前線で味わいたい。そして街の活性化に一役買いたい。

昂った気持ちを押さえつつ法被に袖を通し、鉢巻をねじり上げたオレは、初の試みとなる商店街合同神輿のメンバーとして拝殿に降り立った。

拝殿前で景気づけと練習の意味を込め、まずは豪快に引き回す。

右へ、左へと揺さぶられる神輿。

「わっしょい!わっしょい!」の掛け声とともに飛び散る汗。

シャラン、シャランと装飾品のぶつかる音を響かせ、上下に振り下ろされる神輿。

毎年、何を問題ともせず出来ていたものが、密、飛沫、クラスターといった新たに出て来た用語に縛られて何も出来なくなった現実。

それを乗り越え、マスク着用など多少の不便はあれど、コロナ前に限りなく近い神輿の立ち回り。

オレたちの「山王さん」は此処にある、と感じた一瞬だった。

とても嬉しくて気持ちも上がったオレは、それからの各商店街の巡行もフル参加した。

しかしながら、寄る年波とはこれなのであろうか、終盤に近付くに連れて足がつり出し、神輿を左右に揺さぶることから軽い車酔いになったオレは、人でごった返す日枝神社に戻って来た時には既に活動限界を迎え、神輿の担ぎ手を外れてふらふらと後をついて行くだけ。その様相はまさにウォーキング・デッド。

それでも最後の拝殿での締めはきっちりと参加して、大義を果たすことができた。

翌日、地元第一紙に三段ぶち抜きの写真で掲載され、「どや?でかでかと載っとるやろ」と記事の画像を見せて周囲に触れ回ったが、「オメー、マスク外しとるやろ!あごマスクじゃねーかよ!」と逆に突っ込まれる羽目に。

少しばかりの反省とともに、

(だって、屋外マスク外して良いって国が言ってんじゃん…)

と、まだまだコロナ前の生活に戻らない日々を実感した。そんな「山王さん」であった.。


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