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大河ドラマから見る日本貨幣史10『献上される鷹の値段とは?』

いやあ、第19回『信長を暗殺せよ』面白かった!

織田信長が三好長慶に摂津と尾張の交換を求めたという天野忠幸先生の説を大河ドラマで描いたのは初だったのではないでしょうか。16世紀後半、内戦が長引きすぎことにより権力者が誰ひとり機能しなくなっていた室町幕府や、有能な三好政権の姿も具に描いており、最新学説をなるべく取り込もうという姿勢が見えておりますね。これまで梟雄としてしか描かれて来なかった松永久秀を、しっかりとした官僚として演出しているのはとても好感がもてます。 

足利義輝は、実際にドラマのように全国の有力な大名に官位や偏諱をばらまいておりましたが、これはただ義輝に現実が見えていなかったからではないと思っています。むしろ、それ以外に争いを収める手段が当時の将軍では思いつかないのではないでしょうか。実際、この官位譲渡外交は割と効果があり、高政も史実では官位を受け取ってうはうはしていますし、有名な川中島合戦では朝廷と幕府をうまく使った武田信玄が実質的な勝利を得ています。全国の大名に、再度幕府の存在を知らしめ結びつきを再構築したという意味で一定の評価はするべきと僕は思っています。

武家官位に関しては、どうせこのあとも信長周りで度々登場する事になると思うのでその時にしっかり紹介して。 今回のネタは朝倉義景が朝廷への上洛要請を断る代わりに献上品として用意した「鷹」です。

鷹狩りは世界中で行われていた狩猟法で、日本でも奈良時代から行われています。が、しっかりとした儀礼作法、そして文化として確立したのは室町時代からです。公家の中には鷹狩りを自らの家業とするものも出てきましたが、やはり鷹狩りをこよなく愛したのは武家です。

これは遊びという側面だけではなく、鷹狩りに用兵の技術が詰まっていたからだと言われています。鷹狩りは一種の追い込み漁です。事前に狩り場を調査し、獲物の状況を調べ、家臣が追い込むタイミングを合わせ、将が止めの一撃として鷹を放つ。戦術訓練として最適だったのでしょう。

この狩りに用いられる鷹は、幼鳥のころからしっかりとしつけなかれば使い物にならないため、専門的な訓練を行う必要があります。鷹の飼育と教育を司る鷹匠は専門職であり、特殊な技能を持った人間の給与と鷹の飼育費で、1羽育て上げるのに大変な金額がかかりました。見た目が美しく、狩りの腕がよい鷹は、だから茶器と同様にたいへんな高額で売買されていたのです。 

ちなみに、朝倉家の鷹は極めて特殊な鷹です。実は、朝倉家は戦国時代に世界初の、鷹の人工繁殖に成功しています。これにより、幼鳥を捕獲しにいかなくても生まれてきた雛から選別をする事ができ、良い鷹を探しにいく必要がなくなりました。

戦国時代の鷹の売買記録は残っていないかと例のごとく国立民俗博物館の中世物価表を調べてみました。が、具体的にいくらでやり取りされていたのかを記す数字は出てきませんでした。ですが、たまたま手元にあった『図録 山漁村生活史事典』(柏書房)に、戦国時代が終わったばかりの江戸時代初期で、鷹が1羽10両だったと記載がありました。10両とは大判1枚に値するたいへんな金額です。

江戸時代初期は幕府の貨幣制度が完成しておらず、まだまだ諸国に貨幣が普及していませんでした。そのため貨幣高物価安で、江戸中期以降と比べると貨幣価値が非常に高いのが特徴です。 大正13年(1924年)年に発行された本庄栄治郎著『徳川幕府の米価調整』(弘文堂書房)によると、大坂の陣が終結し戦国時代が終わった直後の元和2年(1616年)当時の1石(約150kg)の米価は、慶長銀18.2匁〜20匁だったそうです。

同じ本の中に記載されている元禄4年(1691年)の米価が1石あたり銀41匁〜53.3匁ですので75年で半分近くまで貨幣価値が下がっていることがわかります。もっとも、このころ慶長銀から元禄銀という銀貨への悪改鋳が行われたため、両時代を同じ土俵で比較することはできませんが。

戦国時代末から江戸時代初期の鷹の値段を計算するにあたり、今回は計算しやすいように元和2年の米1石=20匁を採用します。 慶長6年(1601年)より始まった江戸幕府の貨幣制度では金貨と銀貨、そして銭貨がそれぞれ独立した価値をもっていました。この3つの貨幣を変動相場でやり取りする仕組みがいわゆる三貨制度です。しかし、江戸時代初期には銭貨がつくられていませんでした。なので、元和2年には金貨と銀貨のみの相場でやり取りはされています。

この相場は民間の商人が勝手に需要と供給を見定めて変動させていましたが、一応幕府が定めた公定相場というものもあります。それによると、江戸時代初期は金1両=銀貨50匁でした。 すなわち

金1両=銀50匁=米2.5石(375kg)

となります。 2020年4月17日に農林水産省が発表した令和元年産米の相対取引価格は、全銘柄平均で

60kg=15722円だそうです。 https://www.jacom.or.jp/kome/news/2020/04/200420-41311.php 

つまり現在の1kg当たりの米価は約260円といった所でしょう。

 ということは、鷹の値段である10両は、

 10両×375(kg)×260(円)=97万5000円 

即ち、鷹1羽は約100万円となります。たかが動物に大仰なと思うかもしれませんが、鷹が献上品として機能する理由は十分に理解していただけたかと思います。

 ところで皆さん『鷹侍(たかまち)』という仕事をご存知でしょうか? 鷹匠は、野生の鷹の営巣から確認し、卵が生まれたらそれを捕えて育てるということを行っております。ですが、鷹狩りが全国的に流行すると乱獲が始まり、鷹の絶対数が減少してしまいました。そのような時、豊臣秀吉に鷹を献上したのが後に松前藩(現在の北海道)を治めることとなる蠣崎慶広でした。

彼が蝦夷で捕まえてきた鷹は、見事鶴を捕えてみせた事で秀吉を大層喜ばせます。秀吉は蠣崎氏が蝦夷を支配する事を認め、さらに蝦夷から毎年鷹を献上してほしいと頼みました。こうして、全国の大名に「蝦夷の鷹は素晴らしい」ということが知れ渡ったのです。

この状態は江戸時代に入るとますます過熱していきました。大名たちはよりよい蝦夷産の鷹を誰よりも早く得るため鷹匠を大坂へ派遣し、鷹を購入していましたが。やがて大坂で買うだけでは飽き足らず、蝦夷に直接鷹匠を派遣し営巣の段階から監視させるようになったのです。鷹の青田買いです。この際、石狩平野で鷹が卵を産むのを待つ役に付いた鷹匠の事を『鷹待』といいます。 松前藩といえば、日本を代表する輸出品となった俵物(干アワビや干ナマコ、昆布などの海産物)が有名ですが、この鷹待の許可代や鷹の売上げ金も莫大で、藩収入の15〜16%が鷹にまつわるものであったといわれています。

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