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27歳、はじめて図書館へ行く

「遠くの場所の問題に、どうして心が痛むのだろう?」


わたしには社会問題に熱心な友人がいる。彼らの関心ごとは平和や人権、環境とさまざまだけれど、共通するのは自分とその問題との距離感を問わないということだ。一方のわたしといえばはっきりとしない声で「これも大事なことかもしれない…」とモゴモゴしている。

それでもって冒頭の問いに立ち返る。社会問題に特別な思いを持つには、個人的と感じる距離感が必要なのではないか。いや否か。しかし頭のなかでぐるぐると考えても答えは出ないわけで。そこで27歳、人生でほぼはじめて地域の図書館に行くことにした。



地域の図書館を選んだ理由は2つある。1つに本に「偶然性」を求めていたこと。本屋やAmazonで買えばすぐに自分が読みたい本が手に入るけれど、図書館には本のプロがいる。その時代の社会に向けられた選書に目を通せば、自ら育んでしまった「関心の分断」を超えられる気がした。そしてもう1つに、20代の今、少なくない税金を払うなかで、なによりも早く、ずっと確実に、回収できる投資効果が「知」なのではと思ったのだ。



図書館通いをはじめて数ヶ月。どれも無料だということ、本のプロに選書されたことが背中を押して、普段なら手にしない本に出会う。「あ、自分は大丈夫です」と思っていた本にこそ運命的な言葉が宿り、次の本への手がかりとなった。そうした一連の読書体験が、遠くの場所の出来事が実は時代と場所を問わず繰り返すこと、他者の暴力を見ているようで自分のなかにある歪みに気付かされるということ、それゆえすべての諸問題はつながっているのかもしれないという眼差しを与えてくれた。


わたしたちは便利な情報時代を生きている。ほしい情報は最短ルートで手に入り、全世界に拡散できる。しかし同時に「すぐに役に立つか、誰かに共感されるか」という眼差しを持ちながら、わりと身勝手に物事との距離感をとってしまう。その先にあるのは、関心のないことはミュートができてしまう、ちょっと怖い社会だ。でも図書館には、その分断をやさしく壊す手伝いをしてくれる大人がいる。


だからこそ、今のわたしが未来のためにできること。今はまだ「遠くの場所」と思えているものをそうではないと知るために。まずは自分から偶然の知と出会い続けていきたい、と思うのです。そのために図書館通いはお財布にもサステナブルで、とっても有効だなあと思います。





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