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無職5か月目

無職になり5か月がたった。
こう書いて言いようのない気持ちになる。

恥ずかしさが大きいけど
にやっとした面白さもある。

人生を振り返ったら、
いつも悩んでこれでいいのか、
もっと自由で居たいという思いを抱えながら
結局は優等生というか、
大きな失敗をしなそうな道を選んできた。

高校は進学校にいったのも
大学でも早々に就職活動をしていたのも
いつも問題の先送りだったのかもしれない。

自分はどう生きていくのか?という問題に
真剣に面と向かって向き合うことはなく、
とりあえず大学に行けば・・・
とりあえず就職をして社会にでてみないと。
そんなとりあえずを積み重ねていたくせに
大きな”何か”を見つけたがっていた。

社会人になってからは、
見えない何かではなく、
見える何かを手に入れたくなって、
彼氏、結婚、資産、昇進、給料、
ブランドもののバッグ、海外旅行・・・
そんなものを追いかけていたのかもなぁ。

でも、大きな”何か”というものに
本当は向き合えなかったのかもしれない。

向き合う勇気はないし、
見つかってしまったときに
どうしたらいいのかもわからないし。
ていうかどこで見つかるのかわからなかったし。

でも、逆に30歳を過ぎて、
目に見える、人に自慢できる”なにか”たちを
追い求めることの方ができなくなってしまった。

続けることはできたけど、
これ以上続けたら、私の心は死んでしまうなと
そうなったら本当に悲しいことだなと思って
どうにかすべてを辞めてみることにした。

年々自分の気持ちが鈍くなって、
感性も鈍くなっていってるのを明確に感じて
怖かった。

仕事は忙しかったけど、
別にすごいパワハラの上司がいたわけでもなく、
自分の責任感でやっていた。

小さいころから
空気を読む能力が高かったので、
周りの期待値にこたえていくべきだという
そういうプレッシャーを
勝手に抱えていたのだけど。

すべて手放してゼロになって、
孤独なヨーロッパひとり旅にも出て、
久しぶりに話す友達に「毎日何してんの」と言われたり、
私ってなんにももってないと思うと
居心地が悪くて誰とも会いたくなくなったり。

でも、私、本気出せばまた働けるし。
と思うことで、何とか気持ちを立て直してもいた。
また毎日忙しく働いていたら逆に堂々とできるっていうのも
変な話だなと思っていた。
また心は不幸せなのかもしれないのにねって。

いまは、そういう自分の人生で一番大切なもの
といえるような”なにか”は
自分のなかをとにかく見つめることでしか
見えてこないものだと気づいた。

でも、家でじーーーっと考えていても見つからない。

色んな人と接して、
社会生活をして、
誰かを必要とし、
誰かに必要ともされながら、
自分に向き合うしかないと思っている。

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