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学歴ってなんだろう
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こんにちは。もねです。
現在進行形の中学受験母として、日々の奮闘を記録しつつ、情報の乏しい宮城県公立中高一貫校受検の記録が、後々どなたかのお役に立てばと思って書いていきます。
個人が特定されうる情報については、有料設定で限定公開にさせていただいていますが、ある程度記事数がたまったら、テーマ別のマガジン制に移行予定です。
最近中学受験にまつわるいろんな本を読み漁っています。行き過ぎて、教育政策とかを論じるような本まで…笑
このnoteは、あまりに情報の少ない宮城の中学受験事情を伝えるひとつのレポートとして残しているつもりなんですが、もし我が家が首都圏で中学受験していたら…
かえって情報が多すぎて、パンクしていたかもしれません。
今日は、いろんな本を読みながら考えた「学歴」について、思うところを書きたいと思います。
中学受験の先、どういう人生を歩ませたいのか
我が家は医者の家系でもないですし、何が何でも国公立という執念もなければ、先祖代々慶應みたいな背景もありません。
そんな中、猫も杓子もとりあえず中学受験する首都圏在住でもないのに、なぜ中学受験させるのかは初期の記事でも書きましたが、いろーんな思いはあるものの、「選択肢のある人生を歩んでほしい」というのが最大の理由です。
最近読んだこちらの本には、こんな一節が出てきます。
おおたとしまさ著
ルポ塾歴社会~日本のエリート教育を牛耳る「鉄緑会」と「サピックス」の正体
出身大学によって企業への就職の機会が制限されるのは差別であるなどという不平等の文脈で「学歴」という言葉が扱われることが、今は多い。しかし元来、「学歴」には、どんな出自であっても学問を修めればどんな社会階層にも上がっていけることを保障する「通行手形」としての役割があった。(中略)
中卒、高卒、大卒と、通行手形のランクが上がれば世界も広がる。当然人々は1つでも上のランクの通行手形を手に入れようとする。親は子に、できるだけ上等な通行手形を持たせて送り出したいと願う。
”いい”大学を出ていれば、”いい”会社に入れるかどうかというのは、私は社会人としてあまり実感がありませんが、少なくとも、高卒と大卒の間には大きな溝がありますし、その”大学”にしても、どう考えてもお金払って行く価値があると思えない大学は存在しますよね。
宮城県(地方)という教育後進地域で普通に生きてると、気付いたときにはうっかり後戻りできないルートに入ってしまってるということがありうるんじゃないかと。
それを早期に回避する方法としての中学受験だと思っているんですが、だからと言って、別に東大とか行ってほしいわけじゃない。
でも宮城では、「二華中受検する」と言うと、
「当然医者を目指すんだよね」とか、「当然東大だよね」とか、「悪くても国公立でしょ」みたいな雰囲気がすごい。
同じ本の中で、サピックス→桜蔭→鉄緑会→東大法学部に進んだ人の言葉として、
「自分は勉強を頑張ることで、人よりも多くの選択肢を得ていると思っていました。しかし実際には、『東大に行ったからにはあんな仕事はできない』という風潮もあって、どんどん自分の選択肢を狭めていたのです。(後略)」
”いい”学歴を持つことは、選択肢を広げるようで、狭めることにもなりうるというのは本当にそうだなと。
ゼロか百かの宮城中学受験
たまたま同じ人の本なんですが、これも面白かったです。
この本は、中学受験を巡る実話をもとにしたルポで、「二月の勝者」みたいな感じです。
そのあとがきで、こんな一節がありました。
親子を壊すいちばんの原因となるのが、「第一志望に合格しなければ意味がない」だとか「偏差値六〇以下の学校には価値がない」というような「ゼロか百か思考」である。そのように考えているようなら、中学受験はやめたほうがいい。ちょっとでもつまずいたとたんに不安に振り回され、冷静な判断ができなくなるからだ。気づいたときには親も子もぼろぼろということになりかねない。
ほんそれ。
ほんそれなんですけど、問題なのは、
宮城での中学受験では、実質的に「第二志望」以下を設定するということができないということ。
管理型か自由型かとか、共学か別学か、大学附属か、郊外型か、新興か伝統か…というような。
首都圏では偏差値以外の様々な特色で学校を”選ぶ”ことができて、子供の性格や家庭の教育方針に合う学校をいくつかピックアップしたのちに、偏差値で目指せる学校を絞り込むということができるのに、宮城ではそれができない。
「ゼロか百か思考」とかじゃなく、それしか選択肢がない。
これは困ったものだなと思います。
いずれ私立中学のことも書きたいなと思うんですが、当然二華中の倍率を考えたとき、残念な結果に終わる可能性も充分あるので、そうなった時の打ち手は考えていないといけないですよね。
「中学受験に向かって勉強した蓄積は、どういう結果になっても無駄にはならない」とはよく言いますが、それはその通りと思いつつ、それを親子とも、どこまで心から信じられるか。
白熱してのめりこんで、不合格だった時に立ち直れなくなる、ということにならないよう、私自身も気を付けていきたいなと思います。
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