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手紙が教えてくれたコミュニケーション

noteを始めてまだ2週間ほどですが、早速自分の中で変化、というか気付きがありました。

一つは、外に発信する材料ができたこと。
「私今これやってます!」と言えるものがないことに悩んでいましたが、noteを(ほぼ)毎日続けると決めたことで根拠のない自信が浮上中。

また友人にも宣言したことでよりやる気が溢れる。中でも嬉しいのは、わざわざ読んで感想を言ってくれる素敵な友達がいることです……

なぜか1人で戦おうとしていた自分に気付きました。

足元見て生活する、ってこういうことだな。

もう一つは、X(旧Twitter)とは違い体系的な形にする必要があるので色々考えながら書くのですが、なんだかこの感覚が手紙を書くときに似ているのです。

私は見事にZ世代ですが平成文化の方が親しみがある(多くのZ世代が平成生まれですが)。

スマホより外遊び、連絡手段は親の携帯や友達への家電、学校での話題は昨日放送されたドラマ……

文通もその一つ。

小学生の時、引っ越しすることになったのだがとても仲良くなった子と転校してからも文通していた。

(文通する私、なんてかわいいのでしょう…😌)

今はチャットで短いメッセージを打てばすぐに返ってくるけど手紙は構造化する必要がある。

また、間違いがあっても直せるものじゃないから余計慎重になる。

思えば当時はどういう話に繋げていったら楽しいかな、どんな話題を話そうかなって届けたいあの人を考えていた。

簡単に情報が送れる便利な世の中で、誰かに対して配慮することが薄れていたなあと感じました。

細かいところだけどね。

最近「伝える」と「伝わる」は違うよねって話をしていたのだけどまさにこういうことだなあと思った。

自分の思いを伝わる形にするために全体の流れ、句読点の位置など伝えたい誰かを考えて配慮を広げる。

こういったことも含めて、考えていることを文字起こしする重要性を感じている。

最近読んだ末吉宏臣さんのnoteでも似たようなことが書かれていました。

人とのコミュニケーションで大切にしないといけないことを改めて感じた日でした。
気付くことができてよかった。

なんか、父の日も近いことだし両親に手紙でも書こうかな〜

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