Music (2)

「ねぇ、ちょっと、……聞こえてる?こっち見て……よ……」
「ちゃんと聞いてますって!」
何度目か知れない問いかけについ声を荒げてしまう。
言いながらまっすぐ団長の目を見たのに、当の彼女の視線は、私の目線よりやや高い位置でぴたりと静止していた。
「あの、団長?」
そっと目の前で手を振ってみる。

……無反応。
今なら何言っても大丈夫かも?
こっそり
「音痴団長~」
「………」


これは……聞こえてない!

「あほ!!ぼけ!!顔面塗り壁!!音痴~!」

いざとなると、小学生男子みたいな罵倒しか出てこないのが悔しいが、ここぞとばかりに思い付く言葉を羅列した。

「先週、副団長が、
『団長のくせに音痴とかあり得ないんだけどw』
って嘲笑ってました~!
みんな否定できずに苦笑い?笑笑
いつも団長をおだててる新島くんも
『あれはないわ~』って!
あ、あと……」

「あー!!!!あ、あ!!」
フリーズしていた団長が突然変な声で呻いた。
背筋が一瞬で凍りつく。ヤバい、聞こえてた?
「な、な~んて、全部冗だ……」
「えっとあっと、その、隊長、どうして、ここに、」
私が全力で取り繕うのを遮って、突然団長が焦り始める。
あまりにオロオロしすぎて厚く塗り重ねた仮面が剥げ落ちてしまいそう。
「あの、団長、どうし…」
「うん、もういいよ。張り切りすぎただけだよね」
背後から団長へ声が飛ぶ。
しかし、人の台詞を遮るのが好きな方々だ。
さっきからまともに話せていない。
「でも真美ちゃん、久しぶりだよね~」
私をほったらかしに会話が進む。
このまま置いていかれるまいと、背後を振り向いた。
「あー、やっとこっち向いたね~」
和服姿の男性が腕を組んで立っていた。
「はじめまして~」
にこり。
「キリサキミコトです~」
にっこり。
「き、きりさきさん?どちらさまですか?」
怖い。何か、怖い。
「うん、みことさんで良いよ~」
はい、と差し出された名刺を見ると、漢字で、
「霧崎 尊」
と書いてあった。
「な、なんか神々しい……」
つい声に出してしまう。
「うん、そうだね」
なんか掴みどころの無い人だな。
名刺を受け取ってからちゃんと見てみると
「霧の森音楽隊名誉隊長」
ほぼ漢字の、重々しいようなメルヘンチックなような肩書きが、名前の上にちょこんとくっついていた。
あれ、なんか、この人……
「すみません、どちらさま、とか言ってしまって。この方面には疎いもので」
私は頭を下げた。

霧の森音楽隊というのは、どこか気の抜けるような響きだが、実際は正反対で、国の音楽の質を高めるために創られた、言わば音楽の精鋭集団だ。
完成度の高い定期公演も頻繁に演っているし、様々なジャンルの天才を集めて育成し、世に送り出したりもしている。
音楽をやる者なら一度は入隊を夢見る霧の森音楽隊。
受けとった名刺には、隊長とあった。
つまり、学校で言えば理事長、歌劇団で言えば団長だ。
一番偉い人だ。
団長がオロオロするのも頷ける。

「大丈夫、それくらいで怒ったりしないよ~ 真美ちゃんじゃないんだから、ね?」
言いながら団長に視線を戻す。
団長は気まずそうに目をそらした。
尊さんは、続ける。
「真美ちゃん、先月、僕は、名誉隊長の、お孫さんが来るから、くれぐれも、よろしくって言ったね? 考え過ぎずに、普通に、育ててくれれば、良いからと、言ったね? 間違っても、キツく、しないようにって、言ったね?」
団長に歩み寄る。
笑顔が、怖い。
「っでも……私はその子のためを……!」
「真~美~ちゃ~ん?」
「……すみませんでした」
渋々、団長が頭を下げた。
団長が、頭を、下げた!?
感動して涙が出そうだ。
さすが隊長!肩書きってすごい!

「ごめんね、三尾 珠乃(みお たまの)さんだよね?」
尊さんが、申し訳無さそうにこっちを見る。
久しぶりに、自分の名前を呼ばれた気がした。
「はい、そうです。」
「お祖母様から、お話聞いてるよ、歌が得意なんだってね?」
「はい、そんな、特別上手いとかじゃないんですけど」
つい、予防線を張ってしまう、悪い癖。
「上手いとかは置いといて良いから、歌うの、好き?」
目が、笑っていない。
悪い意味じゃなくて、真剣そのものという風に見えた。
自然と、体に力が入る。
「はい、好きです。」
「そっか、良かった」
ふっと尊さんが笑う。
思わず見惚れるほど、綺麗な、純粋な笑顔だった。
「改めまして、霧の森音楽隊隊長、霧崎尊です。名誉隊長のお孫さんということは関係なく、純粋に君の歌を聴きました。純粋に、君に入隊して欲しいと思いました。霧の森音楽隊には、君が必要です。入隊してくれませんか?」
1度に言われて、頭が、混乱する。
入隊?私が?
お祖母ちゃんとなんて、もう10年は会ってない。忙しい人だから。
お祖母ちゃんが、霧の森音楽隊の名誉隊長?
待って、一旦落ち着こう。
ゆっくり、深呼吸。
吐いて、吐いて、吸って、吐いて、吐いて

「入隊、するとして、いつからですか?」
「今すぐにでも」
「よろしくお願いします。」

私が深々と頭を下げると、霧崎尊隊長は、右手を差し伸べた。
しっかりと握り返す。
意外にも、力強い大きな手だった。

「よろしくね。珠乃ちゃん。」

黙って見ていた団長が、呆れたように口を開く。
「あなた、ちゃんと分かってる? 本部は首都よ?遠いのよ?引っ越しよ?」
そんな細切れの疑問文を一気にぶつけられても……
というか、尊隊長と妙に親しげだけど、まさか……
「団長、もしかして、隊の人だったんですか?」
「……隊の人って……他に言い方ないの?まぁ、そうだけど」
「真美ちゃんはね、うちの幹部だよ~」
尊隊長が付け足す。
開いた口が塞がらないとはこの事か。
顎が外れそう。
え、音痴なのに…?何で…?
「今、音痴なのに…?何で…?って思ったでしょ!?」
エスパー……?
「エスパーじゃないわよ?」
思考を読まれてる!?
「なんでか知らないけど、真美ちゃんは、音痴なフリしてるんだよねぇ~」
意味が、分からない。
「本当は、普通に歌えるんだよ~ うちにはピアノで入隊して来たんだけどね~」
ここ数年で1番の驚きがここに。
団長が、出来る人だったなんて……!!

「この方が、色々とやりやすいんです」
「珠乃ちゃんにも、他の人から変に妬まれないように、キツく当たってたんでしょ?」
「え、そうなんですか?私、そういうの別に気にしませんけど」
「ちょっ、礼の一つくらい言ってくれても良いじゃない!」
「えぇ………ありがとう、ございます。」
「気持ちがこもってない!」

あーだこーだ言い合って、今さらながら団長と打ち解けたところで、明後日、首都へ出発することが決まった。

「じゃ、明後日にこっちを発つのね」
「そうですね、遠距離ですね……」
手をヒラヒラ振ると、うわ、チャラっ、と言われた。
最初からこんな風だったら、もう少し楽しかったろうに。
団長が、尊隊長に向きなおる。
「三尾をよろしくお願いします。」
「はーい、よろしくされます。」
尊隊長はまたふっと笑って団長の頭をポンポンと軽く叩いた。
まるで小さい子供にするみたいに。

「あとね、真美ちゃん」
手を顎にスライドさせて、団長の右頬のファンデーションを、親指でぐいっと拭った。
ポロッと粉が固まって落ちるのが分かる。
驚くべき厚化粧。
尊隊長は溜め息をついて、袂からクレンジングシートを取り出した。
え、何で常備してるの?この人。
「化粧やめてって、何回言ったら分かるの?」
容赦なく、化粧を削ぎ落としていく。
落としがいがありそうだ。
クレンジングシートを6枚も消費して、団長の化粧は綺麗に落ちた。
言葉が出ない。
この生涯で、1番と言っても良い驚きがここに。
化粧の下にあったのは、初々しいという言葉が似合う、美少女の顔だった。
「ほんと、化粧下手だよね、真美ちゃんは」
いやいやいやいや、下手とかそういうレベルじゃないでしょ!?
40歳くらい若返ったぞ!?
「はい、真美ちゃん、新しい隊員に改めて自己紹介して」
「え!? あー、えっと、改めまして?霧の森音楽隊幹部、鶴ヶ峰真美(つるがみねまみ)です。先月二十歳になりました。どうぞよろしく?」
えぇ……年…下………?
笑顔の尊隊長と、別人と化した美少女団長を前に、私はどこからツッコミを入れれば良いのかも分からず、しかし、流すことも出来なかった。
結局、尊隊長が
「明後日迎えに来るね~」
と、帰って行き、
団長が、
「ねぇ、ちょっと、とりあえず戻るわよ!」
と言って私の腕を掴むまで、私は目を点にして立ち尽くしていた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?