服は何故音楽を必要とするのか? - 菊地成孔
ラグストの予言書
2012年、就活真っ只中の私は、卒論のアイデアの収集のため移動時間に本を読み漁っていた。
学部コースの先輩から渡されたこの本は強烈に印象に残り、今に至るまでファッションを観察する際の材料の一つとなっている。
一般的には、ラグジュアリー・ファッションがドラスティックに変化した昨今、【予言書】として取り扱われることに異論はないだろう。
『服は何故音楽を必要とするのか? - 「ウォーキング・ミュージック」という存在しないジャンルに召還された音楽たちについての考察』 / 菊地成孔
内容としては、2008年に出版されてるので、それ以前のファッションショーについての雑多な感想がメインである。
一方で、後半にかけて彼が主張している内容が明らかに現在に当てはまっているので、菊地氏の分析力に感嘆せざるを得ない(ファッション専門家の無知の要因もあるのだが)。
本著から読み取れる【事象・主張】はいくつかあるが、私は大まかに2つが気に入っている。
モデルウォーキング = エレガンス?
一般的に、ファッションショーにおいて、モデルたちが音楽にぴったり合わせてウォーキングすることは、あり得ない。
そのようなスタイルでウォーキングがなされたとすれば、それは「ウォーク」ではなく「行進」、「ダンス」、あるいは「マスゲーム」のようなものになってしまうからだ。
他方で、ファッション・ショーで求められるべきものは ― シック、エレガント、スタイリッシュ ― の達成のためには、モデルたちは、音楽とズレたまま、つかず離れずの微妙な状態を保ったまま、ランウェイをウォークしなければならない。
ファッション・ショーを補完する要素として、彼女たちは音楽に身を任せる快感から疎外されている必要がある、という理屈だ。
ファッション・ショーは、こうした抑圧を構造化したものであり、「ウォーキング・ミュージック」とモデルたちとのあいだに生ずる関係の不自然さ、歪みが、独自の美しさに繋がっている。
デザイナーとモデルこそが、クラブで最もノッている存在なのはなぜか?
という、誰も疑問にも気にもかけない現象の理由を、彼ならではの視点で捉え述べている。
ヒップホップ X ハイファッション
ラグジュアリーファッションという、ある種「格上」なコンテンツを扱っているからか、多くの編集者・出版社は注意も重きも置いていなかったトピックなのであろう。
だが、本著(WWDの掲載コラム)の試みである「怪しい音楽家にファッションショー評を書かせる」が、小さな発見ながら大きなインパクトを残した意義がここにはあると思う。
この本が【予言書】と言える所以には、各ショーをレポートする際の【カニエ・ウエスト】目撃談がある。
そして、カニエがハイファッションの領域に踏み出してくることを、同じ音楽家の視点から予言している。
著書の中では、著者と編集者のやりとりから、【ファッション関係者はカニエのことを認識】していない(していなかった)のがよくわかる。
「ラップスター?誰?」という感じの【格下連中眼中にございません】感が透けて見える。
10年経って、カニエの分身たるデザイナーが各方へ飛び立っている。
オートクチュールへの挑戦も、増えていくであろう。
取り敢えずまとめ
最近はブランドとアニメーションとのコラボレーションも良く見るようになってきた。
ファッション = メディアとして捉えると、ヒップホップやアニメーションなど他ジャンルのカルチャーとのコラボレーションにも不思議はない。
今後もそうしたファッションとの新たな試みが増えてゆくのだろう。
カニエ兄周りのデザイナーについても、そのうちまとめてみたい。
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