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変化の足音 受け入れ ゆだね みとめる

細かな変化には (ある程度は) 柔軟に解釈を加えながら
少々時間を掛けながらでも
対応できるようにはなってきた

でも大きな変化には やっぱり めっぽう弱い

それが 自分の生活環境の中で起こると…。



数年前に 母を 看取った
私がよく似た父と共に。


今度は父が 闘病に入った。

一番不器用な自分が傍にいる。


2人して変化が苦手な人間

いろんなことにおいて 共有がむずかしい2人

自分の解釈からの反れを認めない父と
いろんな解釈があると考えたい私

少しズレると 永遠に 指摘をし合ってしまう

なんだろう この へんてこな 拘りのぶつかり合いは…


変わることへの恐怖…
父は そこから来てるのかもしれない。
そんなはずはない!!!みたいな…


私は…もしかしたら

「私の言うこと  私の意見として みとめてほしい」 

それがずっと 拭えていないのかもしれない。

物心ついた頃から ずっと
「おまえはおかしい」 「なんでわからないのか意味がわからん」
そんな風にしか 返事がもらえていなかった

しゃぁない。

ここらで 私の方の それ は、もう手放してやるとするか…

父のためにも

いや   私のためにも。

私から見て どんなに偏っていようとも
それが父から見る世界の見方 物事の捉え方。

私は わたし。

母ともまた 違う。

身体の変化、環境の変化
目に見えなくても 日々 訪れるもの

受け入れ    ゆだね    みとめる


はやく 自然に あたりまえに できる様になりたい。
 

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