月曜日の図書館5 101人目の友だち
子どものころ、人生というのは友だちが100人できるまで抜け出せないゲームなのだと思っていた。とても達成できそうにないその数字を思い浮かべ、教室でひとり途方に暮れていた。
開館と同時になだれ込んでくる人というのは、たいていいつも決まっていて、朝刊を読みたいおじさんか、週刊誌を読みたいおじさんか、もしくはただいつもの場所に座りたいおじさんである。あまりにいつも同じ場所に座って、同じ場所にもたれるので、壁にはおじさん型のしみがくっきりついている。見る度に、原爆で影だけになった人みたいだなと思う。
あのへっこみ、何か知ってる? Dが自慢そうに言う。すずめが砂を浴びた跡でしょ、と答えると、えっと絶句する。えっ、これって有名な現象なの?うちの図書館界隈のすずめだけかと思ってた。
建物の横に砂地が少しあって、かつては花が植えられていたのかもしれないが、この地方特有の乾燥した空気のせいで、今は雑草すら生えていない。代わりにすずめがやってきて砂浴びをするので、ぽこぽことかわいらしい窪みができている。
その場所に、おじさんが座っていることがある。足をぷらぷらさせながら上の方を向いて、にこにこしている。晴れた日は太陽に照らされて、天使みたいに見えることもある。
図書館の良いところというのは、館内でおしゃべりをしなくてもいいところではないだろうか。福祉や介護のイベントを企画しても、圧倒的に男性が集まらない、という話を行政の担当者から聞くが、図書館の中はおじさん/おじいさんだらけである。彼らは別に家の外に出るのが嫌なのではなくて、そこで楽しく語り合ったり、悩みを打ち明けたりするのが嫌、もしくはその必要性を感じていないのではないだろうか。
昼休み、外に食べに行かない職員は、研修室でごはんを食べる。講義形式の長机一台にひとり座り、本を読んだりスマホを見ながらもくもくと食べる。
楽しく語らわないし、悩みを打ち明けない。
教室で、班ごとに机を寄せて、しゃべる内容を考えなければならず、ごはんがのどにつかえていた、あの頃からずいぶんと遠くに来てしまった。
ほっとするなあと思う。欲を言えば、ラジオか何か、BGMがあるともっといい。
マナーアップキャンペーンのためにわたしが作ったキャラクターが、すったもんだの末に不採用になった。理由は男(おじさん)である上に頭がはげていることが「ふさわしくない」からだそうだ。公共図書館のキャラクターは、誰に対しても公正中立でなければならない。係長はそう言う。性別などあってはならず、なおかつ頭の毛がふさふさでなければならない。もしくは、頭の毛がなくても違和感のない生物。
N本さんから「巌(いわお)さん」という、頑強そうな名前までつけてもらって、設定もしっかり考えていたのに、がっかり。
すべての人間がすんなり受け入れる生物なんているのだろうか。
巌さんは、実は人間ではない。小人になったニルスくらいの大きさで、日本各地の公共図書館を渡り歩いている。本を盗もうとしている人の耳元で「本当にその選択でいいの?」とささやく。目が小さくきらきらしていて、とてもかわいい。
友だち100人できるかなって歌あるでしょ、とN本さんが言う。よく考えるとちょっと計算が合わないんだよ。100人ってことは、自分も入れて101人ってことでしょ。でも次の場面では100人でおにぎり食べようとしてるじゃん。何で?残りの1人は?おにぎりの具になっちゃったの?
くだらない。あまりにもくだらない。くだらなすぎて、うれしくて、わたしはにんまり笑った。
101人目の子どもは、きっとわたしだ。みんなで楽しくおにぎりを食べるのが嫌で、そこから逃げてきたのだ。そして今、わたしはここにいる。
そんなふうにしてほうぼうから集まってきた101人たちで、図書館はできているのかもしれない。