月曜日の図書館14 春になったら、バケツを持って
あの頃はいつもスギナばかり抜いていた。ほんの少し早く気づけば、つくしだったかもしれないのに、どういうわけかスギナになった姿しか見たことがなかった。植え込みのすきま、のぞけばすでにスギナだった。
スギナは決して根本から抜けることはなかった。どんなに慎重に向き合っても、茎の部分でぷつっとちぎれる。文字通り根絶することは難しく、だからこの行為が終わることはなかった。
もう10年も前、緑が生い茂りすぎていた図書館で働いていた頃のはなし。
駅前にサングラスをかけた強面のおじさんが立っている。からまれたら嫌だなあと思いながら横をすり抜けようとしたら、課長だった。この時期、図書館のとなりの公園では桜が満開で、花見客がどっと押し寄せる。新規ユーザー獲得のために、利用案内のちらしを配っているのだった。
外では他人のふりするのかと思ってちょっとショックだったよ。サングラスを外してにこにこしながら課長が言った。
館内ではあたたかくなったことを喜ぶかのように、半袖を着たおじさんや、はだしのおじさんや、海パン姿のおじさんがちらほら目につくようになった。春を通り越して早くも気分は夏。「自分のパンツを見せてくるおじさんがいる」という苦情を受けたLちゃんは「ファッションのつもりなんじゃないか」と思って、通報すべきか悩んでいた。
貸して。持ってあげるよ。K川さんにそう言われてぽわーんとなる。箱を持ち上げたわたしが危なっかしく見えたのだ。予約がかかった本は専用の箱に詰めて、各地の図書館へ配送する。本がぎっしり入った箱は重いが、もう何年も上げ下ろしをしているわけだし、そろそろ慣れてもいいのに、わたしはいつまでたっても力の入れ具合が分からず、生まれたての子鹿さながらの体勢になってしまうのだった。
わたしが決死の思いで抱えていた箱を、K川さんはひょいと受け取ると、あっさり所定の場所に積み上げた。山登りが趣味の彼女は、自分の体の使いどころをよく知っていて、とてもかっこいい。
スギナだけでなく、植え込み自体もちょっと目を離せばたちまち野生化した。余分な枝は草刈り機で形を整えていく。わたしより長く働いていた嘱託のおじさんは、まるで庭師のような腕前になっていた。
草刈り機の電源は事務室から延長コードを伸ばしてとっていたのだが、あるときわたしがコードを外から引っ張って抜こうとしたために、差込口を変形させてしまった。
頭おかしいんじゃないの。先輩が猛烈に怒った。そうやって抜こうとしたら壊れるって、ふつう分かるでしょ。
駅前に所在なく立っていると、見回りに来た課長が、廊下に立たされてるみたい、と言って笑った。少しも悪びれていない。課長の提案により、交代でちらし配りをすることになったのだ。花見に来た人は、花見に来たのであって、図書館でトイレを借りることはあっても、本を借りようとは思わないんじゃないかな。ということをみんなうっすら思っていたが、課長の期待できらきら輝く怖い顔を見ていると、反対できる人はいなかった。課長が喜ぶなら、バケツだって持ってもいい、と思った。
課長がカウンターで「いらっしゃいませ」とドスの効いた声で言うと、子どもはおびえ、肝の小さいクレーマーは近寄ってこなくなる。
わたしの作ったポスターを、K川さんがたくさんほめてくれる。本当は広報担当のK川さんに相談すべきだったのに、そのことに気づいたのはすでに作り終えて印刷している最中だった。
何度も謝るわたしに、K川さんは謝りすぎ、と言って笑った。そして、センスある人が作るとすてきだね、むしろ作ってくれて助かるよ、と言った。でも、しんどいと思ったらひとりで抱えこまずに言ってね。
仕事ができて性格の曲がっていないK川さんは、忙しくて大変な図書館にばかり異動させられて、不条理なこともたくさんあっただろうに、誰のことも恨まず、それどころか性格の曲がりくねっている人の良い部分をぐいぐい引き出して味方にしてしまう。
今度はフロア案内も作り替えよう、と思った。
ポスターが大きすぎて困っていると、課長がちょうど通りかかって貼るのを手伝ってくれる。うん、見やすく作ってある、とうなずく。
スギナの間からカマキリが現れた。しばらく迷ってから、わたしはそっとその体をつかんでみる。
カマキリはつぶれず、逃げもせず、おとなしくわたしにつかまれていた。
ふつうが分からないわたしは、いろいろ間違うけど、でもまだ世界との距離感を、壊さないくらいには正しく保っている、と思った。もう少しだけ働いてみよう、生きてみよう。
いつかわたしの「ふつうが分からない」を面白いと言ってくれる人と、出会えるかもしれないから。