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月曜日の図書館26 でも言いたい

数日前からiPhoneがOSをアップデートできますと訴えてくる。できます、とさも選択の余地がありそうな提案だが、こちらに拒否する権利はない。古いバージョンのまま放っておくとアプリにも支障が出てくる。仕方がないので言われるがままアップデートしつづけ、何が良くなったのかいまいち分からないまま使いつづける。
そしてあるとき、これ以上アップデートできなくなる日がくる。そうなるともう新しい機種に買い替えるしかない。どんな成長を遂げたのか最後まで知ることはない。まだどこも故障してないのに、いきなり死亡宣告される。

おつかれまでした。あなたはもう、ここで行き止まりです。

玉ねぎと塩麹のドレッシングが簡単に作れる上においしい。もしかしてわたしはとんでもない発明をしたのではないかと思ったが、検索してみるとすでにたくさんの人が知っているのだった。でも言いたい。サラダだけじゃなく肉料理のタレとしても使える万能さを、他ならぬわたしがわたしの言葉で熱く語りたい。
自己啓発の本を出す人もこんな気持ちで、すでに誰かが言ったことを手を替え品を替えているうちに自分が見つけた真理であるかのように思ってしまうのだろう。

今年から入ってきた新人の子が、データの処理を間違えてしまい、本の所在が分からなくなる。定時を過ぎていたが、残っていた職員全員で大捜索をした結果、無事に見つけることができた。その子ははじめから終わりまで一度もごめんなさいを言わなかった。
働くことに慣れていないと謝ることもできない。失敗するのが悪いことではなくて、失敗して迷惑をかけたら素直に謝ること、次に同じ失敗をしないようにするにはどうすればよいか考えることが大事だということを、彼はこれからの司書生活の中で学んでいくのだろう。

帰りの電車の中、今日は早く帰ってごはんを作ろうと思っていたのにまたコンビニ飯だぜ、とぷりぷりしながらふと前の席に座っているおじいさんを見た。耳がもどしたてのしいたけそっくりだった。
一日かけてみんなが蔵書点検したデータをわたしが一瞬で消してしまったときは、課長がそんな失敗をしたのに怖気づかずに今日も出勤してきて偉い、と謎のフォローをしてくれた。あのときのわたしは、ちゃんとごめんなさいを言っただろうか。

同じ轍を踏まないように、間違えて後悔しないように、という願いが形になって生まれる本がある。
でも、知っていたところで、やっぱり傷つく/傷つけるし、何度だって立ち止まるだろう。中学生のときにムーミン谷の存在に出会っていたとしても、ひとりでいることのさびしさや、人と違うことへの不安は消えなかったに違いない。スナフキンにはもしかしたら恋していたかもしれないけれど。

例の新人の子が、カウンターでヘルプが必要なときに音を出して知らせるセンサーをうっかり(?)家に持って帰ってしまい、次の日はいくらボタンを押しても助けが来ず、誰もが絶望を味わった。業を煮やしたT野さんは自分の携帯電話から事務室に電話をかけていた。この子は大物になるかもしれない、と思った。

今すぐインストール、をタップすると、iPhoneは静かにアップデートを開始した。しばらく放置してから起動させると、何食わぬ顔でこんにちは、と画面に表示している。誰を傷つけることもなく、実にスマートに成長したのだ。どこが、と聞かれると困るけれど。
これから生産されるiPhoneのOSは、生まれたときから一定以上のバージョンだが、人間は誰でもみんなOSゼロからはじめるしかない。その人の能力は、つねにそれが身につく過程で生じた感情や出来事とともにある。大丈夫だよ。そんなこともできないの。次がんばろう。
どんな技術が、どんな道のりと祈りの上に開発されたのかを知ることなしに、本当に使いこなすことはできない。それぞれの記憶とないまぜになって、みんな独自のアップデートをつづける。
しかも死ぬまで!

というようなことも、きっとすでに誰かがどこかで主張している。

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