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月曜日の図書館4 書庫に迷えば

書庫の本はきちんと整列していない。基本の並び順というのもあるにはあるが、分厚くて場所をとるものや、あまり使われないもの、特殊なコレクションの本などは、その列からは外され、別の場所をあてがわれる。その際の案内表示(手書き)には、「会社年鑑は南東に別置」とか「Sの大型本は北側壁ぞいを見よ」などと書かれる。問題はそれが例外中の例外というわけではなくて、少なくない本が、分厚いし、あまり使われないし、特殊であるために、庫内の表示は、別置と方位が複雑にからまり合って、要するにどこに何があるのかよく分からない。自分の足で毎日歩き回って覚える、というのが、今のところ最も効率の良い方法である。
入り口(出口?)付近の壁には電気のスイッチがたくさん並んでいる。これもエリアごとに東西南北で分けられているのだが、どこを押すとどこが明るくなるのか、てんで検討もつかない。とりあえず、つけないで!と手書きされたテープがはってあるスイッチ以外をすべて押せば、ブラインドの下りた庫内にもいっせいに光があふれて、おはよう、100万冊の本たち。

ドラえもんが読みたい、と毎週来る女の子がいる。どの巻を読んだか忘れてしまうので、来る度に書庫にあるだけのドラえもんを出納し、その場で選んでもらう。いっしょに来るおばあちゃんの方が覚えていて、それもう読んだやろ、と指摘したりする。
読みたい本が書庫の中にあり、それを手に入れるためにはカウンターで申し込まなければならない。その一連のプロセスを、小学生にしてすでに知っている彼女は本当にすごい、と思う。この先の人生も、きっとちゃんと生きていける。

昔読んだ本をどうしてもあきらめられなくて通っているおじいさんもいる。白い表紙の、四柱推命の本。やはり書庫にあるだけの四柱推命の本を、白くないものも含めて出してくる。その人は毎回、山のような四柱推命の本に埋もれて、一冊一冊手に取り、ここにあるものは違いました、と言って帰っていく。同じやりとりが、もうずっと続いている。本当はそんな本はないのかもしれない。いや、やっぱりあるのかもしれない。

前にいた図書館では、唯一監視カメラがついていないのは書庫だけだった。
仕事中、どうしようもなくなった時は、書庫の中でうずくまって、しばらくじっとしていた。見上げた本棚には、開架の棚に収まりきらないハーレクインがぎっちりと並んでいた。表紙にたびたび登場するシークっていうの、あれは人の名前じゃないんだよ、といつかLちゃんが教えてくれた。

あまりに広大な書庫の、電気とは違う別のスイッチがあって、押して消えたら誰もいない、消えなければ誰かがいる、もしくは窓が開きっぱなしになっている、それを確認できるようになっている。
でもあれだけじゃ、完全に人がいないと確認できたことにはならない、とDが怖いことを言う。あれは空気の流れに反応してるだけだから、じっとしてたら分からないんだよ。たとえ書庫の中で倒れてたって、見つけてもらえないかもよ。
人間より本が支配している空間は、大声を出してもびっくりするくらいひびかない。どれだけ叫んでも届く前に本の中へと吸い込まれてしまう。

つけないで!のエリアには、江戸時代の頃に書かれた和装本や巻物が保管してある。日記のたぐいを開くと、オオサンショウウオの下手くそな絵なんかが描いてあって、珍奇なる魚を見つけたり、なんて書いてある。

Lちゃんの書庫出納のスピードは驚異的に速い。時空を歪めているのではないかと思うほどだ。何かコツがあるの、と聞いても、なぜだか悲しそうに笑うばかりなのだ。反対にN本さんはのろのろと遅い。カウンターが混んでいるときには、ちょっとイライラする。

読みたい本は、どうしていつも書庫の中に入ってるの?
誰かが言っていた。

目的の本を見つけ、戻ろうとして帰り道が分からなくなったことがある。同じような本棚が行けども行けども続き、出口かと思って曲がってみると壁。
迷った時は動かない方がいいと言うではないか。
だけど、空気、空気を、ふるわせないと、見つけてもらえないかもしれない。
中途半端にうろうろしていたところで、偶然通りかかったN本さんに助けられたのだった。

今でも時々、本当に時々、うずくまってみようかと思うことがある。つけないで!と書いてあるのは、本に光を当てて傷めないため、そしてなるたけその場所を知られないようにするため。虫食いとカビでボロボロになった紙の束が、暗闇で静かに呼吸している。
わたしはここで、もう何年も前からねむっています。
わたしがここにいること、覚えていてくれる人はいますか。

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