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「学ぶ」って楽しいはず

 私は小学校の教員をしています。7年目を迎え、5年生を4回、6年生を2回、2年生を1回と比較的高学年を持つことが多くなってます。高学年を持って思うのは、授業で学ぶことを苦役のように捉える子が多いということです。私の力不足もあると思いますが、1年生でワクワクしながら学校に来て、楽しそうに授業を受けている姿から高学年になると変化してしまうように感じます。
 学ぶって何だろうと感じていた時、ある研修で見た幼稚園児の姿に「学ぶ」を見た気がしました。
 今回のnoteでは幼稚園児の姿から見た学びについて書いていきたいと思います。

1.研修で見た幼稚園児

 研修である幼稚園児の活動シーンを見ました。積み木で作ったビー玉を転がすコースで、どうしたらビー玉が上手く転がるかを数人の子どもたちが話しながら遊んでいるシーンです。  
 子どもたちは夢中に、楽しそうに活動していました。この遊びの中に「学び」が詰まっていました。大人にとってはどうでもいい事が、実は子どもにとって大切な学びになっているのです。

2.自由な空間と時間

『遊びが学びに欠かせないわけ』ピーター・グレイ著

 先日、「遊びが学びに欠かせないわけ」という本を読みました。詳しい内容は著書を読んでいただけたらと思いますが、著書には以下のようにかかれていました。

「子どもは自主的な遊びと探索を通して、自らを教育する」
『遊びが学びに欠かせないわけ』ピーター・グレイ著 本文より
誰かのスケジュールで、誰かが指示した方法を使って、人が強制的にさせられることは苦役です。子どもの学びをコントロールすることが、学びから楽しさを奪い去り、苦役に変えてしまうのです。
『遊びが学びに欠かせないわけ』ピーター・グレイ著 本文より

 幼稚園児の積み木の活動は、誰かに指示されたわけではなく、自由な空間と時間で起こっています。「どうしたらいいかな?」、「どうしたら上手くいくかな?」を他者とたっぷり考える時間と空間が学びが起こるには必要な条件のように感じました。

2.課題は自分たちで作り出す

 新型コロナウイルス感染症の影響で一斉休校になった時、勤務校では大量のプリント印刷と配布とともに「自分で学びを進められる子」というワードがよく聞こえてきました。
 自分で課題を見つけ、取り組み、振り返り、軌道修正しながら次へ。そんな姿が理想です。その理想の姿が幼稚園の姿にありました。
 課題は自分たちで見つけだし、それを解決するために試行錯誤する。そして、面白いのは成功したらすぐに次の課題へ。前より少し難しい課題へと自分たちで進んでいくのです。楽しそうに。

3.苦役になってしまう学校教育

 現在の学校現場では、年齢を重ねるほど授業が苦役になってしまう子が多いように感じます。それは学びが起こる条件が欠けているからなのではと感じることがあります。
 まずは、自由な時間と空間の欠如です。まだまだ、「みんな揃って、みんな同じ」の傾向が強い学校現場では、自分のペースで学びに向かうということに課題があります。もちろん、自由進度学習や自分で計画を立てて学習する方法を実践されている方もいますが、それが主流にはなっていません。
 また。プログラミング教育、キャリア教育…などなどした方が良いであろう教育が追加され、じっくり、ゆっくり課題に向き合う時間は削られ、慌ただしく、浅く広くになっているように感じます。
 次に、全国学力学習調査のテスト対策など、本来の主旨とは違うテストで点を取るための学習の影響があると考えられます。どちらかというと、学校現場では、テストの点数などで測定できる認知能力に重きが置かれているように感じます。幼稚園児のように、課題を自分で見つけ、あーだこーだ言いながら仲間と粘り強く取り組む。そこで、テストでは測れない非認知能力が育まれるのです。
 認知能力も大事ですが、社会で活躍するには非認知能力がとても大切なのです。

4.おわりに

 研修で見た幼稚園児の姿はまさに「学び」でした。学校教育現場でも、自分達で課題を見つけ、ワクワクしなが取り組む時間を作り出したいと思っています。日々、そんな視点で子どもたちに向き合いたいし、私自身学んでいきたいと思っています。本来、「学ぶ」って楽しいことのはず。学ぶって楽しいんだって思える体験を子ども達に、今の学校制度の中でも感じてもらえるようにしていきたいです。その「学ぶ」って楽しいって経験が今後の人生にとってとても大切になるはずだから。

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