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誰も聞いてない「自分の明るさ」

あれ、僕の文章って明るいの、暗いの?

そんなことを考えてしまう日々が続いている。毎日読むなら、明るい文章がいいに決まっているし、書いていて辛いものは、読んでも辛いだろうから。

ついつい比べ始めてしまうと、途端に自分の悪い部分を探したくなって、それが自分の足りていないところだ、と烙印を押したくなる。

こんなふうに比喩も、明るくない。もともと明るい性格ではないのか、それとも照れ隠しのつもりで、言葉を選んでいるのだろうか。

こう、あれこれ考えてしまうのは、暗いということなのだろうか。誰にも聞かれていないけれど、考えてみる。

まぁ、気にしないでやろうよ!みたいなノリの良さが“明るい”なのだろうか。それは、軽さでもあるのだろうか。

幼い頃から「明るくない」と言われている気がする。僕は、幸いにしてそれを悪口と取るのではなく事実として淡々と受け入れて、無理に自分を飾ることなく生きてきたつもりだ。

だから、話し言葉もやや嘲笑的な姿勢があるし、ツッコミ気質だって批判や訂正グセからくるものだと思うのだ。

例えが明解で楽しい文章を読んでいると、それだけで気分が軽くなる。そして、どんどん先を読みたくなる。しかし、暗いものは読んでいくとどうなるか不安だし、先を続けたくなくなってしまう。結果として、noteのような場では、スキがつかなくなってしまうような気がする。

この文章を書きながら、妻が言うには・・「眉間に皺が寄ってるよ!」だった・・ほら暗い気がする。

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