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わる、える

電車に乗って、ぼんやりとしていたらドアの上の画面に写真とテキストが流れていました。いつも見ている景色。多国語対応のニュースは、日本語が多言語に訳されているわけではないのをご存知でしょうか。

特に日本人のニュースなどは、日本語に比べて、ほかの国の言語は説明が加えられている印象があります。それにしても1行だけで表現するのだから、すごい。

そんな画面に、フィギュアスケートのアイスダンスの記事が。

「伝わる演技を」

少し違和感がありました。きっと日本語としては、問題はないかも知れません。

演技って、伝"わる"の?

それとも、演技って、伝"える"の?

僕が考えたところでは、伝わるものは、演技の中に込められている表現であり気持ち、雰囲気、なのでしょう。何か、伝わる〇〇って、伝統というか、この地域で古くから伝わる〜みたいな感覚なのです。

だから、すごく大袈裟に言うと「審査員が再現できる演技」のように感じてしまったのです。どう手を挙げて、どう動いて、どう呼吸をしているのか、それが見て取れることが「伝わる」ことのように、意地悪ながら考えてしまったのです。

演技だけではなく、こうして読んでいただいている記事でも、伝わるのはとても難しいと思っています。だから、申し訳ないけれど僕の言葉で、つらつら書き続けていたり、読んでも価値が見出だせないことも書いています。

ただ、ときどき"伝えたく"なる記事のときもあります。そんなときには、いつも見かけるアイコンの方々に向けて、どうですか?みたいに考えながら。

だから、伝える演技のほうが、僕は好きです。きっと、その先にあるのが気持ちが伝わるという結果なのかも知れません。

「伝わる」が結果の意味だとしたら、あの言葉は演技終了のときの目標なのかも知れません。

終わったときにどうありたいか。

それが彼らの真意だとしたら、「演技」は芸術的な意味合いではなく、「競技」に近い言葉にも感じます。アスリートとしての底知れない自信と、その裏打ちとなる努力こそ、伝わってくるものなのかも知れません。

そんなふうにして考えてみると、似ているなと思うのは、終える、終わる。

今日も仕事を終えて職場をあとにしました。きっと、パソコンやデータを見たら「まだ、終わってないよ?」と言われるでしょう。作成途中だったり、提出していなかったり、着手すらしていないものも。

終えるのは、僕の意思で決められることですが、終わるのは僕の意思ではなさそうです。終わりのないものはたくさんありますが、終えてしまうのです。

言わずもがな、家事も終わらない代表的存在。でも、例えば誰かにやってもらって、全部終わってしまったらつまらないよなぁと思います。少なからず、好きな家事ってあるのではないかと思うからです。

なんの話だったか。

電車の中で、ついつい考えてしまう、そんな話でした。

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