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あげる

揚げたての価値、というものがある。

目の前で、その具に衣をつけ、油の中に入れると、無数の泡が取り囲んで浮かび上がってくる。しばらくたって、おもむろに油から出され、出番を待つ。そう、天ぷらのことだ(やや長い前置き)。

職場の近くは、フードコートが充実していて、たまの外食ランチは迷ってしまう。大型ショッピングモール内は、結構名前の通った名店も出店している。かたや、新しくできたフードコートもまた、目を引くお店が多い。最寄駅の駅ナカもまた食欲をそそる店がある。

その中で、天ぷらに注目したのは、自分の食の好みを痛感する出来事があったからであった。これが、揚げたての価値の問題である。

揚げたての天ぷらを、どう食べたら美味しいのか、なぜ美味しくない揚げたてがあるのか、今まであまり考えてこなかったことが、ある店の天ぷらを食べたとき唐突に浮かび上がってきた。

天丼を出すお店に行ったときのこと、揚げたてを出してくれるというので列に並び、エビが立っている天丼を受け取った。どんぶりの蓋裏に「夢」と書いてあった。

個人的な感想として、その店の天ぷらは、なんとなく美味しくなかった。具材が小さいとか、衣がめっちゃ厚いとかではなく、揚げたてのはずが、しなしなになっているのだ。目の前で揚げていたはずなのに。

別の店で、天丼を食べたときのこと。その店は出来上がったら呼ぶスタイル。揚げたてかどうか分からないものの、食べてみたら揚げたてのようだった。サクサクしていて、時折たれの味が感じられた。具の味もしっかり感じられる、納得の旨さである。

揚げたてが美味しい、揚げたてには価値があると感じたのは、実は天丼ではなく、別の店で天ぷらうどんを食べたときのことだ。冒頭の描写は、その天ぷらうどん店で見かけた天ぷら誕生の瞬間である。

茹でたてのうどんに、天ぷらを載せ運ばれてきた。店の入り口にある券売機には商品写真が並んでいたが、写真通りに丼からはみ出る天ぷらは、揚げたてである。手際の良さと、具の大きさに期待を膨らませ、一口食べたときの感動は忘れられない。大袈裟なようだが、生きていて良かったと思う。

コシのある麺に、サクサクとした衣と、だしがしみ込んだ衣のある天ぷら。そして、少し油が浮いたつゆ、いろいろな要素があって美味しかったはずだが、目の前で揚げる説得力を実感したのだ。「揚げたては美味しいに決まっている!」と。

ではなぜ、あの天丼はなんとなく残念だったのか。
少しヒントを書いていたが、食べながら感じていたことは、すべての天ぷらが頭から尻尾までタレの味なのだ。そして、揚げたてのサクサク感が失われていることだった。揚げるための大鍋の横に、タレが入った鍋があり、揚がった天ぷらをざぶんと浸けていたのを思い出した。味はしっかり付けられるが、アツアツでサクサクのはずの衣が褐色に染まっていた。果たして、どの天ぷらもタレの味がしっかり付いていた。

味が濃いことは、外食にはよくあることだから仕方ないが、せっかくの揚げたてを…サクサクだったのに、あの歯ごたえは失われてしまっていた。何となく残念だったのは、それだったのだ。店ごとに味にこだわり、作り方に工夫を凝らす。おいしさに妥協はないはずだ。だから、その店は僕の好みとは合っていなかったということなのだろう。

揚げたての価値はある。そして、揚げたてを食べられることは、幸運でもあるのだと思う。価値を教えてくれたうどん屋は、いまも昼時は満席が続いている。

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