続ける力を考える
“続ける力”に脱帽、という言葉をかけてもらった。ふわっと嬉しくなった。
続ける、は能動的な言葉だ。
確かに、仕事でもないし、誰に頼まれたわけでもないし、毎日のように更新して1200日を超えていた。
以前、継続という言葉について考えたことがあった。
糸偏で構成されている熟語だけに、糸を紡ぐように、あるいは糸を織り上げて一幅の布にするように、取り組んでいくようなイメージだと書いた。
続けるために、と考えてしまうともはやその気持ちが足枷になるような気がする。どういうことか。それは、続けること自体が目的になってしまうのだ。
僕の場合は、具体的に続けていく目標なく始めてしまったこともあって、ここまで続いている。しかし、勝手に続いているのではなくて、さまざまなタイミングで書く時間を捻出しているはずだ。
なぜ書くのかとか、どうやって書いているのかは、ここでは書くつもりはないが、少なくとも毎日更新するための時間を選んでいるという事実はある。
その時間にほかのこともできたし、ほかのことをやらねばならなかったかも知れない。書く以外の選択をしていれば、noteをここまで続けられていない。
また、続けている動機として、読んでくれる方がいる、というのは大きい。初めてスキをもらったとき、フォロワーになってくださったとき、感動したのを思い出す。
僕はエッセイというジャンルで書いていると認識していて、それは日常のあれこれが書けると思っている。だから、家族や仕事のことも書いておくと、後から読み返せるのだ。
毎日更新は、筋トレやマラソンに例えられることがあるけれど、僕には“鍛える”とか“上達する”みたいな実感がない。例えばトレーニングでは、徐々に強度を上げていくことが求められたりするが、書くことにおける強度とはいったい何だろう。
とはいえ、仕事や暮らしなどほかにも時間は必要で、書くための時間が減ってしまっていることが、必然的に書く強度を高めているのかもしれない。時間に対してみれば量が増えている感じか。
日ごろ、いわゆる“創作”を読むことが少なく、フォロワーさんの作品でも、スルーしてしまうことが多い。あとで読む、まとめて読む、と言ったこともするが、全てではない。
今回の受賞を何度も書いてくどいけれど、それだけ嬉しいし、あの時には書くことの強度がすごく高まっていたなと思うのだ。
読みながら何を書くか考え、書き始めたら一気に書く。
「読んでみたくなりました」
というコメントや、フォロワーさんのスキを引用作品で見つけては嬉しくなった日々を思い出す。(気になるのでチェックしがち笑)
続ける力は、変わらない継続性のことだと思っていたが、むしろ変化することなんじゃないだろうか。
減っていく時間、変わりゆく暮らし、体力も足りない。でもいつもの場所に、いつものように投稿することで自分を保っていられているとしたら、実はそれは自分が変わっていっているのだと思う。
習慣化、固定化、続けるための言葉はいろいろあるけれど、実際にはそれは変化を受け入れて、自分自身を変えていくことなのかもしれないと思った。
変わらないのでなく、変えていくことが、続ける力なのかも知れない。
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