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ダルマさんが転んだ

新年の雰囲気の名残を残しながら、日常に向かう1月の連休、地域によっては新年の飾りや書き初め、昨年お世話になったダルマや熊手などを燃やす行事が行われるところもあるかも知れない。

塞の神、どんど焼き、どんと焼き、左義長などと呼ばれていて、地域によってそのやり方や一連の流れは異なるけれど、なんとなく言われているのは「灰をかぶるとその年は元気に過ごせる」というものかも知れない。

仕事でも、年末近くになると河川敷を使いたいと申請書が提出されて、使用内容を確認すると「どんど焼き」などと書かれていて、なるほど新年はもうすぐか・・なんて思いになったりする。

実家に住んでいた頃は、全くそのことを知らなかった。むしろ地方に残る日本の伝統・・のように遠い話だと思い込んでいた。

しかし結婚して、今の地域に引っ越してきたとき、地域に積極的に関わらないまでも、自分たちの住んでいる場所で、何が行われているかは、結構身近な話題として視界に入るようになって「塞の神」を知ったのだ。

初めての時は、何も持たずに行ったような記憶がある。本来は、正月飾りを持ち寄るものらしいと知ったのも、ほかの人が飾りや松を櫓に放っていたからだった。

それ以来、毎年参加するようになり、正月飾りを燃やし、燃え上がる炎で顔が熱くなるのを感じ、降ってくる灰を被る。

抱っこしていた子が大きくなり、立つようになり、歩くようになって、人数が増えて、友達が見つかって・・年に一度のイベントは、ありがたいことに変化を感じる機会にもなっている。

晴天に恵まれた穏やかな休日、公園には大きな櫓ができる。初めて見た時は、和風のクリスマスツリーのようで、これが本当に燃えるのかと思ったけれど、思いのほかよく燃える。

今年は種火が上の方に置かれたようで、あっという間に火柱となり、観ている人たちの顔に熱が伝わってきた。灰は炎で吹き上がり、青空に舞ったのち、静かに降ってくる。

火がついてから数分で、櫓はなくなり、焦げたダルマたちが転がっていく。大きな塊だった櫓も黒い灰になり、嘘のように小さくなって、なんとなく“飾り”の本来的な意味を考えてしまったりして。

「あのダルマさん、泣かないでエライねぇ」などと下の子は言う。たしかに熱そうだ。せっかく両目になったのに、数日で焼かれているのだとしたら過酷である。

休日の午前中、うっかりすると行けなくなってしまう時間帯でもあるから、毎年参加することで、今年はあれが変わっていたなどと感じることができている。

スマホで写真を撮っていた僕に、上の子が「カメラにして」とせがむ。「3枚までね」と少ない枚数で切り取る風景は、子どもらしい視点にハッとさせられることも多い。

まもなく、子が撮ったのは、まだ燃えていないダルマと、炎の奥にゆらめく人並みだった。塞の神を凝縮したような一枚に「すご!」と声を上げてしまった。


#地域 #塞の神 #炎 #縁起物 #無病息災

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