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旅にもつ2020・2019

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旅する日本語2020、2019のために書いたもの。初めてのショートストーリーの創作。
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#萌芽

君の髪

きみのショートヘアーが、恋しい。 若いパティシエは、美しい恋人のブロンドの髪を想った。緩やかなカーブに、艷やかな色、ふわふと弾む毛先の感触が、彼の指に蘇る。 勤めているキャフェでは、新作ケーキの試作が始まっていて、多忙を極めていた。恋人はおろか、自分の顔を鏡で見る余裕もないくらい、一日中厨房にいる。 クリーム、フルーツ、チョコ、色々試してみるが、なかなか見つからない。求めているケーキは、こんなのじゃない。 ふうっと息をついた刹那、よろけて背後のテーブルにぶつかる。カラ

演奏家

(開演のブザー) 客席が、さっと静まる。 ここは、東京都の蒼月ホール。 カツ、カツ、カツ、カツ。 メトロノームのように正確なリズムを刻み、男が歩いてきた。舞台で艶めくスタインウェイに微笑みかけながら。 ペコリ。 音がしそうなくらいコミカルな動きで挨拶をすると、激しい雨のように拍手が起こる。 ザザザザー。 男がスタインウェイに手を触れ、椅子に腰かける。ふっと息を吐いて、タキシードの袖をまくり、髪に手を遣る。 ゴクリ。 今度は客席からの音だ。観客は、最初の音を