混血の葛藤

イスラエルは北部、地中海沿いにあるアッコ(アラビア語ではアッカ)という町に行ったときのこと。

港に面した旧市街は縦横1キロほどしかない小さなもので、そこを取り囲むように新しく背の高い建物が並ぶ新市街がある。私はどうも古い街並みに目がなく、均一で無味無臭な新しい建物の並ぶ町を歩くと寂しくなってくることすらあるので、真っ先に旧市街へと向かう。石造りの門を潜って町へと足を踏み入れる!野菜の大雑把に並ぶ八百屋さん、食品店には麻袋に入った種類の多すぎる豆、喉がしょっぱい感じになるくらい甘すぎるものの並ぶお菓子屋さん、幼い頃にエジプトに住んでいたからなのか、はたまた母から貰った血が騒ぐのか、アラブの土地に入るとどうも沸き立ってしまう。懐かしさとさみしさの入り混じったような気持ちになる。予約しておいたホステルを見つける。

アムール(アラビア語でハンサムガイ)という名のチワワを飼ってるサハルというスタッフが対応してくれた。真っ先に旧市街の地図を出して事細かに街のお勧めを教えてくれる。あんなに精力的に案内してくれたホステル、旅を通じて何軒かしかない。一通りの説明の後に、個人的な話で申し訳ないけど君は日本のほかにどこかの血が混ざっているの?と質問を受けた。日本とエジプトっていうスーパーつよい濃淡に親近感を持ってくれたのか、彼自身もユダヤ人の母とパレスチナ人の父を持つと教えてくれた。ふたりはどこで出会ったの?とかよく受ける質問じゃなくて、そうやって生まれ育ってあなたはどういう葛藤があったの?っていう部分を訊いてくれた。混血を尋ねるときの細かい配慮にも滲み出てるけど、彼の中にもそういう小部屋みたいな消えないさみしさがあることを、そこからくる繊細な対応をわたしも感じていた。

アラビアの雰囲気も、テルアビブと比較して安い物価も、街のこじんまりさも、城壁に登って見る地中海に沈む夕焼けも、全部私の心にちょうどよく、大好きだった。割と最近発掘された、十字軍の時代にキリスト教徒が隠れ住んでいた地下に広がる遺跡がアッコの主な観光地なのだけれど、街とホステルの雰囲気に大満足していた私は、何をするでもなく町の雰囲気を堪能することに日々を費やし、3日目くらいにはじめてその場所に行ったのだった。あまりの大きさとパネルの情報量、方向音痴には迷路の入り組んだ作り、細い通路をひとりで通るときに石造りの壁から感じるひんやりとした静けさ。彼らが祈りを捧げたクリプトと呼ばれる地下聖堂があって、食堂などの場所から比べるとより深いところにあった。
ああ、あの場所の文字にできない荘厳さとより深い静寂。背骨の下から上に何かが駆けていくような、風が走るような、思わず武者震いをする場所がある。あそこはそれだった。その空間の持つ力を感じることにいっぱいいっぱいで、設置されていたベンチに腰掛けて、ぼんやりとした頭で作り方が全く想像できない石を積んだアーチ型の天井(なんで落ちてこないんだ?)とか、積み上げられている石一つ一つを目で追った。これを積み上げた人たちはどんな顔だったんだろう?一生を日の当たらないこの場所で過ごしたひとがいるのか。一体私は数日間何をしていたんだろうこの場所に来ずに!と思ったけれど、この場所を味わい尽くすまでここに留まればいいこと、それを理由にそう出来る自分の状況が嬉しかった。旅ってこれじゃん!って掴んだ気がした。

とある日の夜、フロント横の共有スペースでサハルと話した。日本で混血として育つことやエジプト人が日本に暮らすことについて話した。ときに共感してくれたり驚きながら彼は話を聞いて、その後に自分のことを話してくれた。ユダヤ人の母親を持つ彼はユダヤ人として敬虔なユダヤ教の環境の中育ち、(母親がユダヤ人であれば子はユダヤ人になるし、父親がムスリムであればその家系はムスリムになるのだが、この場合はどういうことなんだろ?ひとまず。)大人になってからアラビア語を勉強して習得したという。彼の話す英語は早口な上わたしは英語が十分じゃないから、段々と音の川を流れてる気持ちになりながらも、単語をキャッチしながら、話してる内容の雰囲気は捉えようとしてた。その彼が、もなも大変だったと思うけど、自分はより複雑だったというようなことを言ったように聞こえて、すこしむっとした。その時は意味がわからなかった。

後に、エルサレムの旧市街にあるパレスチナ人の男性が経営してるカフェで、この土地のことを書いた数冊の日本語書籍に出会って本格的に学ぶことになるんだけど、本から得た知識や実際に人から聞いた話で、あとになって随分見えてきたことがある。イスラエルの領土にムスリムの人たちが纏まって住んでいるのはなんでか?→イスラエルの民族浄化に根気よく耐えたりなんだりで残ったパレスチナ人のひとたち→彼らはイスラエルアラブと呼ばれ新しい世代はヘブライ語を話す。対してテルアビブやハイファなど大きな都市にはユダヤ人だけがいる→かつてパレスチナ人が住んでいたけれど殺されたり追いやられたことで民族浄化が完了している土地。
なにが起きたのか知れば知るほど当初無邪気に楽しんでいたイスラエルを、ヘブライ語の看板ひとつを複雑に見てしまうのだった。パレスチナ自治区で二週間ほど過ごした後イスラエル側へ戻ったときの、当初と全く違う見え方は忘れない。テルアビブのすぐそばアラブの旧市街ののこるジャッファは観光名所で、趣のある建物を生かしてギャラリーやバーが乱立するお洒落な町だった。かつてそこにいたひとがいる。

そうして私は、ようやくわかるのだった。アッコというパレスチナ人がのこったエリアに、ユダヤ人とパレスチナ人の混血として生まれた、サハルの苦悩が。
みんな葛藤を抱えて生きているし、より大きな苦しみを前に、自分の苦しみを卑下することを私はしたくない。認めるようにしている。でも、生きるだけのことが脅かされるひとたちがいる。想像にいま及ぶ限りでは貧困とか紛争による身の危険とか偏見とか。
それはなんていうことなんだ。私は一度もエジプトと日本のハーフであることで、私が私であることで、ここにいるだけで、生きるのが困難になったことはない。

大きくなってから自分の意思でアラビア語を勉強したサハルの気持ち。今度はちゃんと一語一句聞き取って、彼の言葉をどこかにのこせたら。と、遠い土地に想いを馳せる朝です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?