見出し画像

カルピスとCanvas

 日照時間も長くなり、最近は日差しもぐっと強くなってきた。そうなると喉が乾くのでコンビニや自販機で高いお金払って冷たい飲み物を買っては後悔している。先日もいつも通り自販機の前に立ち何を買おうかと考えているとカルピスが目に留まった。「カルピス」という言葉の響きは純粋で無邪気な子供を連想させてくれるから好きだ。迷わずにカルピスを買った。しかし、買ったペットボトルの形が僕の知っている少しダサいものから新しくシュッとしたかっこいいものへと変わってしまっている事に気づいてしまった。こんなのはカルピスじゃない!と声を出して言いたくなってしまう。
 これと似たような経験はよくあって自分が知らない所でお菓子のパッケージが変わってしまっていたり高校時代使っていた教科書の表紙が妹や弟のものを見ると新しいものに変わってしまっていたりと数え切れない程ある。それらを発見してしまった時、寂しくなるのだが少し経てば当たり前のことにように受け入れてしまう。この当たり前を受けいれるための時間が一番辛い。スーパーお菓子を見かける度に、リビングに置きっぱなしにされた教科書を見かける度に悲しくなる。この悲しさは新学期になるとより強く感じられる。去年まで当たり前にいたクラスの友達は新しい友人と楽しそうにお喋りしていて、なんだか去年まで当たり前だった景色が変わっていてその光景にすぐになれてしまう友人も、新しいクラスで新しい人と仲良くする自分も嫌になる。慣れてしまえばいいのに簡単には慣れなくて過去の自分と現在の自分との矛盾に考えこんでしまう。大学でもそうで、新学期になると今まであったものが学年があがるとなくなってしまったような感覚があり気が滅入ってしまう。こんな感覚を赤い公園の『Canvas』という曲はうまく表現している。

僕らの日々まで 
春はさらっていくの
やけに眩しくて
途方にくれる

 

(赤い公園『Canvas』)

この一節は新学期特有の「新生活」「新学期」「新一年生」とった街が新しい事を始めなきゃいけないような雰囲気に包まれていく中で何もできず、過去ばかり振り返ってしまう心情を曲にしてくれているように感じる。この感覚がある人が他にもいるとだと思うと少し救われる。
 春が過ぎて夏になる頃にはきっと今の生活にも慣れていく。お菓子や教科書、カルピス、諸々の変化もいつか慣れてしまう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?