主人公

 今からとても思い上がった、勘違い甚だしいことを書く。
 ただまぁ、真偽は別として、現在の俺の本心であることには違いない。
 後々こんなのをネットにあげていたことを後悔しそうだが、まぁそれはその時で。
 因みに久しぶりにコードギアス反逆のルルーシュを一気見した感想文である。ネタバレはガッツリあるので注意。

 実際、ギアスを一気見するのは何度目か。そろそろ二桁に届くかもしれない。
 やはり、ルルーシュは俺が最っ高に痺れる主人公の内の一人だ。何度見たって毎回最終話のゼロレクイエムで涙が出る。
 俺の憧れる主人公TOP3といえば、どうだ。
 前原圭一が、なりたくて、なり得ない憧れで。
 ルルーシュが成れないけど、目指す最期の憧れで。
 一ノ瀬グレンが性格は全然違うけど目指す生き様な憧れか。

 ライナは、そうなんだよな。
 憧れと言うよりかは共感の方が大きい。力には憧れるが性格とか生活とか生き方とかはやっぱり共感の方が大きい。

 ここからが、まぁ。後々は黒歴史になりそうなもんなんだが。
 つっても、まぁ常々言ってるから今更かもしれないが。
 結局俺は自覚する前から、周りがバカに見えていたんだろう。
 これはまぁ、正確ではないのかもしれない。ただ、やっぱり周囲と見えている世界が違うというのは多分違いないのだと思う。
 なんで、なんで、なんで。
 これはこうじゃないの? そのはずなのになんでこうなの?
 世の中は不条理が沢山あって、それはそういうもんだと誰もが平気な顔して受け入れている。誰もが一度は疑問を持ちながら、そういうもんだと言われて飲み込んで当たり前にしていく。
 或いは周囲がバカで俺が賢いのではなく、単に周囲が鈍感になれて俺が過敏に過ぎるだけなのかもしれない。誰もが俺と同じように考える能力を本来持っていて、それに向き合う時間とかの余裕がなかっただけなのかもしれない。俺が特別じゃないのかもしれない。それは分からない。俺は、現実では俺にしかなれないのだから。
 それでも俺は、やっぱり多くの人と見えている世界が違うのだとは思う。
 誰もが言える在り来たりの答えじゃ全然納得がいかなくて、結局そこに、在り来たりの答えに戻ってきて得心がいくようになるまで、働きもせずこの年まできてしまった。
 だから事あるごとに俺が周りがバカに見えると言うのは、結局のところそうまでして得た答えが価値あるものだと思いたいからに過ぎない。

 でも、引きこもるまではそうは思えなかった。
 当たり前を当たり前に出来ない俺は欠陥品で、皆はそこを余裕で通り抜けているのだと思っていた。俺が聞き分けが無いのが悪いのだと思っていた。
 だから俺は憧れるのだろう。当たり前に違うと突っ張り、己の信念を、生き様を貫く姿を。
 例え世界や常識に否定されても、息絶えるその時まで自分と、数えるほどの本当に大事な人に胸を張れる道を選び続けることを。
 きっとそれは独善であり、傲慢ともいえることなのだろう。
 ただその道は、何時だって皆に寄り添う道でなければならないのだ。
 だがこれもまた、証明することが難しい定義であることには違いない。

「皆に寄り添う」

 そのつもりで悪役とかいけ好かない奴がよく言う言葉に、

「いずれ分かる時が来る」

 がある。
 俺はダークヒーローが好きになりやすいが、この言葉は嫌いだ。
 嫌いとは少し違うか、その言葉だけは言いたくない、が近い。

「いずれ分かる時が来る」

 これって、結局は今の相手を否定しているのだ。
 誰もが自分と同じくらい聡明で、時間をかければ同じような過ちを犯し、反省し、同じ結論に至ると思っている。そしてその辿り着く答えを先に用意してあげるのは優しさで、未だ道理の分かっていない人々の意思を捻じ曲げるのは必要なことだ、という意味だ。
 人は過ちを犯す生き物だ。であるべきだ。であって欲しい。
 過ちが許されないのなら、究極人は生まれるべきではない。20歳や18歳で成人したって、15歳で元服したって、人は大きく生態を変えるわけではない。あくまで人が勝手に定めた制度で、成熟の早い遅いもある。なら子供の間は過ちが許されて、大人はそうではないなんて理論の明確な論拠なんてない。絶対的な正しさなんてないから、何時だって長生きした年長者の言う事が即ち経験によって裏付けられた正解ということになり、若者に存在の価値は殆ど無い。
 経験を積んでいけば誰もが同じ結論に至ると言うのなら、歳を取りきるまではどんな思いや考えも否定されるべきものとなる。「生きた経験が足りないから」という論法に反論の余地が無くなる。
 だから、経験の無さを否定の論拠としたくないのだ。
 そして、本音を言えば。
 引きこもっていたから何だと言うのだ。働いていない期間が長く社会経験が少ないから何だと言うのだ。
 当然、俺には社会人としての基礎スキルが足りていない。当たり前が当たり前に出来ないことに否定の余地は無い。ただ、それと人間への、社会への洞察力が劣って、足りていないかは関係無いだろう。
 確かに実際の社会の経験が少なく、諸々の複雑な問題とかは知らないことの方が多い。だが、そんな枝葉は大木の幹を語るのに必要なのか。戯画化され、人の苦悩や仕方なさが明確に表現された数々の世界を体験し、それに思いを馳せて考え抜いた経験の方がよっぽど役に立つのではないか。
 大木の幹について考えているのに、枝葉で否定されることが当然の世界で生きてきた。勿論それらが現実問題の解決には遠く、机上の理想論の考察でしかないことは否めない。それでも己のこの洞察が無価値と、金にならんと笑われるのは悔しくて仕方が無いし、でもそれが評価される世界に行くには道が険しすぎる。頭でっかちな俺には、行動力と精神力が足りないのだ。

 だから何時だって俺は物語の主人公に憧れを追い求める。
 周囲より一段上の視点を持ちながらそれを振りかざせるほど心が強くなくて、どうしようもなく結局は身近な人が何より大事で、自分の決断を常に悩みながら、悔やみながらそれでも行動することを辞めない主人公達に憧れて仕方が無い。
 自分が正しいと思いながらも、本当は自分が間違っているんじゃないか。最終的に自分が正しいかじゃなくて、皆が幸せになる選択肢を自ら選べる選択を出来ているかどうか。例え愚かな過ちだったとしても、その時自分が、皆が、最善だと思うことを貫けるかどうか。それを悩み続けられる人で、俺はありたい。
 この信念の根っこは何なんだろう。……、多分愚かしさの中に、決して賢くない選択にこそ打算無き純粋な思いがあると思っていて、それが俺に無いものだから素晴らしいものだと思っているのだろう。
 何時だって俺は打算では説明のつかない純粋な力強さに憧れていて、未だそれを手に入れられない。この歳になってまだ、先に恐怖に追い返された経験しかない。その先が、とても眩しいのだ。

 前原圭一は打算を熱情で自らの意思で焼き切って。その炎で周囲の暗闇も煌々と照らして。
 ルルーシュは嘘まみれの打算の中で、唯一ナナリーへの想いだけはこの上なく純粋で。ほんの数本だけでも、その純粋さがルルーシュにも向いていて。
 一ノ瀬グレンはいつも口では打算を唱えながら、結局のところ純粋さを手放せない。例えその先が愚かで救いのない道しかないと分かっていても。

 ライナは、そういうタイプじゃない。
 もっともっと心が弱くて、自信が無くて、皆を肯定して自分を否定する。そして出会いの中で純粋さを信じれるようになって、誰かのおかげで自分で立てるようになる。だから、憧れているようでいて、羨んでいるに近い。
 俺も、一人じゃ無理だ。辛い、きつい。そう言いたい。弱音を吐いてしまえればどんなに楽か。だがそれに意味は無い。分かっている。自ら善く在ろうと足掻かぬ者のもとに救いの出会いは現れない。NHKから美少女は来ないのだ。

 もっと強くなりたい。いや、もっと強かったなら。
 圭一のように、ルルーシュのように、グレンのように。
 純粋さがあれば。自信があれば。手放せない絆があれば。
 ずっと、ずっとそんな憧れを抱いている。借り物の炎で心の暖を取っている。

強く 強く もっと力を
もっと光を もっと光を

 はは、ギアスを見終わって、なんでこんなにも、笑止千万な思いをnoteに書きたくなったのかと思ったけど結局はこれか。いつものこれか。
 進まないなぁ……

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