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生き直す

 今年いっぱいでどこまで進めるだろうか。

 昨年末から私は、「無職引きこもり」の立場で色々と発信を始めた。

 去年までの私は、「普通」にならねばと自分の考えや直観を全て無視して生きてきた。

 世の中の綺麗事を、正論を、全て従順に受け入れようと生きてきた。

 その結果、初の正規雇用に東京で挑戦し、致命的な挫折をした。

 もうあっち側、「普通」の生き方は出来ないんだと絶望した。

 死にたいと思った。

 でもある時、リアルに死を近くに感じた時、まだ死にたくないと願った。

 それから「死ぬ前に一度自分の気持ちや考えに正直に生きてみよう」と思った。

 文字通り死ぬ気で、生きてみようと思った。

 そこから様々な出会いがあり、様々な情報を得た。

 「多様性を」とか「人権を」とか「クオリティオブライフを」とか言ったのと同じ口で、

 「皆我慢してるんだ」とか「○○なんて甘えたクズ」とか「残業しろ」とか言ってる事に気付いた。

 それは本音と建て前ですらなく、自分で矛盾している事も気付いていない振りをする「欺瞞」でしかないと知った。

 それが所謂「皆」だった。


 私は先日生活保護を申請したところだ。

 それは「皆」からすれば軽蔑すべきことで、「甘えたクズ」でしかないだろう。

 その評価は甘んじて受け入れよう。

 だって他ならぬ自分自身が、そうではないと考えつつも、そうだと思っているのだから。

 でも私は考える事だけはやめない。

 「普通」な「皆」にどう言われようと、「皆」を理由にされる限り構うつもりもない。

 歪な「普通」を信奉する「皆」にはもうなれないし、なりたくもない。

 思考停止で普通に生き、選択の苦しみから逃げる事はしたくない。

 私は今はまだ働けないが、自らの意思と信念でより善く生きるため足掻くつもりだ。


 人からどう見られているかに非常に執着してきた私にとって、

 「普通」の「皆」の呪縛を振り切るのはかなり困難な道のりだろう。

 でも今やっていることは「正しい」んだと自身に言い聞かせて、

 精一杯生きていくつもりだ。


 やりたいことの構想は幾つもある。

 だがいつも通り頭でっかちな私は、考えるだけで全然実行に移せていない。

 今年いっぱいでどこまで進めるだろうか。

 付きまとう自分不信と向き合いながら、

 今年こそが「生き直す」最初の年になることを願う。

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