1/10思考メモ



「当たり前」と「感情の」再解釈

 出来ること
自分で考える機会を与え、それを傍で見守ること
 デメリット
単に洞察を得たい、悩みを解決したいというだけならもっと幾らでもクレバーな方法がある。

椅子の上に立ったまま椅子を修理するようなものだ。
心が不安定になるし、時には転んで大怪我をする。だが案外死にはしない。頭の打ちどころが悪く無ければ、だが。

じゃあなんでそんなキリのないことをやる必要があるのか。
そうせずには居られないから。
苦しみを、絶望を、諦観を、理不尽を。
それらを受け止めた上で、それでもまだ善く在りたいと思うから。

なんで学校に行かなきゃならないのか
なんで働かなきゃいけないのか
なんでこんなにも酷い家庭環境に生まれたのか
なんで良い子でいなきゃいけないのか
なんで希望も無しに生きていなきゃいけないのか
なんで何時まで経っても自分は変われないのか
なんで想いが届かないのか
なんで誰も自分の事を理解してくれないのか

キリの無い問いに向き合う時、巨大な感情が去来し、冷静な論理を押し流す。
そんな感情なんて無用だなんて思わない。むしろそれこそを大事にすべきだと思う。
そのためにも今一度当たり前を、その感情をフラットに再解釈して、その上で感情を見つめ直して欲しい。

悩みの解決法なんて用意できない。それを導き出せるのはあなた自身だからだ。
悩みを解消するのでもない。刺激によって麻痺させるのでもない。
正面から組み合って、乗り越えるその道行をサポートします。



エゴイストと個人主義

エゴイストって何? なんでネガティブな意味を持つの?
どんな行為も好意も、突き詰めれば自分のためのはず
エゴでないもの=自分の利益に実利的にも感情的にもならないものを肯定することがいいのか? それくらいならエゴイストと呼ばれる方がマシ
重要なのは自分に理由の端を発し、その上で他人のそれを踏みにじらないこと。他者の尊厳、意思を忘れないこと。=個人主義
それを忘れてるかが個人主義からエゴイストの差?

突き詰めていけば自分のために端を発する。他の人も同様。
その上で物事を誰がどんな目的でそう在れと願ったかを切り分ければ、自分事と他人事の切り分けに繋がる
ただそこをはっきり言うと、大抵拒否反応を起こされる
⇒考えていない=未知の自身の思考を促される恐怖=足元が揺らぎどうなるか分からない(狂ったり引きこもったり犯罪者になるかもしれない)という恐怖

自分探しの手伝い
自分軸=自分の価値基準を持つというのは容易なことでは無い
徹底的にやるには常識や感情を再解釈する必要がある
その過程で今の価値観を揺らがす必要が出てくる
それは怖ろしいこと、揺らいだ結果道を外れるかもしれない恐怖があること
そんな恐怖に立ち向かうのを見守るのが役目

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