人でなし

 結局のところ、俺が最後に諦めなければならなかったのは、やっぱり自分なのだろう。

 俺は、格好いい人間になりたかった。
 ぐぅたらで、面倒くさがりなわりに計算高くて、力はあって、でも最後に残るのは誰かを守りたいという熱い甘さ。
 一ノ瀬グレンやルルーシュの名を並べるまでもなく、俺はずっと、そんな主人公に憧れ続けて生きてきた。
 だが、まぁ。なんというかこれはダメだ。俺には無理みたいだ。
 根本的に俺は人を見下している。信用していない。
 俺自身も含めて全ての現実から、理想にほど遠く及ばないと一歩引いている。
 嫌いな人であろうと容易に長所を見つけて尊敬できる。
 好きな人であろうと容易に短所を見つけて軽蔑できる。
 前者は良い事かも知れないが、後者は行き過ぎれば人でなしだ。
 なにせ俺は親をも見限ってしまった。一般には最も強い繋がりである血の繋がりをも切り離して考えれてしまった。

 はっきり言って、俺には大事な人が居ない。
 友人も、恩人も、親も、己自身も、そりゃ仲が良い事に越したことは無いが、必要とあれば感情が切れてしまう。
 論理と感情は別物だし、打算と感情も別物だ。そしてそれを分けて考えられない人に心底呆れてしまうし、そうなると明確に興味を失う。
 多分これは俺が30年かけて研鑽してきたものだ。その目的の一つは己の恐怖心を切り離して行動できるようになるため。もう一つは他人の迷惑にならないようにしつつ自己を主張するため。
 だが、結局俺は己の恐怖心に未だ打ち克つことは出来ずにいるし、行き過ぎた打算は人との関係性を築くのに大きな弊害を生むようになってしまった。
 とはいえ、今更それを悪いとは思っていないし、後悔もしていない。直ちにそれを直そうという気すらない。
 この期に及んで、それ以外に生きる方法が思いつかないからだ。
 いや、正確には必ずメリットの裏にはデメリットがある選択において、思いつく限りの他の生き方をする際のデメリットに比べれば余程受け入れられるからだ。
 この生き方には良くない部分があるのは承知しているが、それでも尚一切悪いとは思えない。
 他人を傷つけた時の罪悪感はあれど、俺がこう在ることへの罪悪感は無い。

 俺だって、もっと他人に優しくありたかった。もっと他者と強い絆を結べる人間でありたかった。
 それが出来ない人間だと思われたくなかった。それが出来ない人間だと思いたく無かった。
 だが、結局のところ最後に俺が諦めなければならないのはこれだろう。
 齢30にもなってしまえば、そう簡単に人は変われない。少なくとも今は、無理だ。
 俺にはそのリソースが足りない。
 他者を信じるための自信が無い。他者を思いやるための余裕が無い。
 打算以上に他者を信じ行動した所で、それを返して貰えるほど上等な人間である自信が無い。良いように使われ忘れ去られても仕方ない人間だという確信を振り払えない。
 打算以上に他者を思いやって譲歩した所で、それを回収するまでに自分が耐えきれるほどの余裕が無い。金銭的に余裕が無いのもあるし、自尊心に関してもだ。どうでも良い事は容易く譲歩できるが、特に俺のやり方考え方選択を否定されると過剰防衛と言われても仕方ないほど頑なにならざるを得ない。

 自信と余裕、似たこれらのリソースがもし手に入れば己がもう少し善く在れるのかは分からない。
 だが少なくとも今は無理だ。これらの課題は行動の先で得るしか無いもので、行動の前になんとかするのはどだい無理だ。
 どれだけ人でなしと言われようと、冷徹と言われようと、そんな人だと思わなかったと言われようと、無理なものは無理だ。無い袖は振れない。
 誰よりも俺自身がこんな俺を見下しているし軽蔑しているし嫌いだ。だが認めたくなくともこうなるに足る理由があったし、こうならざるを得ない流れもあった。変わるために打てる手はそれこそまともさを失うレベルで打ってきたし、何故そうなれないかも大体解明した。

「これ以上どうしろと?」

 そう堂々と言い返せるレベルには人生をかけてやってきたはずなのだ。
 たった一言の罵倒を押し流せるだけの積み重ね、これまでの人生の自負がある。
 殆ど誇れる所の無い俺だけど、そこだけは自負がある。俺のここまでの30年はそのために費やしてきたとさえ言ってしまっても、多少大袈裟ではあるが過言ではないだろう。
 人の半生を否定するだけの覚悟を持って、俺を否定しろと言いたい。
 因みに否定されること自体はそれで良い。俺だってこんな自分を否定している。俺はこうならざるを得なかったけど、こうなるべきではなかったとは思う。誰かが人生をかけてこれを否定してくれるのであれば、そう在ればよかったと納得のいくような道が世に示されるのであれば、そんなに嬉しいことは無い。

 ともかく、だから。
 結局やっぱり俺は悪となるのが役割なのだろう。
 俺だってこんな在り方が認められてほしくない。だがそうなるに値する重みを積み重ねてきてしまった。
 だから俺は、誰かが人生をかけて俺を否定してくれることを願って、正論と感情論を極論で振り回して暴論と成す悪になるのが、役割なのだ。
 「俺のようにはなるな」。結局俺が一番言いたいのはそれなのかもしれない。

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