前原圭一

 現時刻午前の3:30くらい。
 1時過ぎに家を出て2時間半ほど雨の中深夜の散歩をしていた。
 今なら心地よく眠れそうだが、今の思いを書き留めておかないと忘れてしまいそうだから書き留めておく。

 世の中はいつだって答えはシンプルで、どこかで聞いたことがあるような言葉が真実だ。
 でも世の中はあまりにも複雑で、自分の真実がどれかに気付くのがとっても難しい。

 俺も高校時代の暗黒期から数えて10年以上、長いトンネルの中に居た。
 その先は真っ暗で、運命の袋小路にさえ思えた。
 ただそれもここ最近、哲学の光によって出口を見出し、なんとか出口に立つことが出来た。
 ただまだ出口に立ったままだったのだ。まだトンネルを背負い、視界が開けていない気分だった。

 それがやっと視界が開けた気がした。
 単純なことだった。
 俺は前原圭一のようになりたかったのだ。

 きっかけは多分この二つだ。
 一つはwin-win-winのコムドット回。
 ヤマトさんの視点と方法論を聞いて、俺の直感はそう間違ってなかったと思えた。(何様
 一つはシェアハウス内の読書会。
 社会学の考え方みたいな本の解説プレゼンみたいなのを聞いて、他の誰よりも、プレゼンしてくれた彼よりも稼いでいる彼よりも、誰よりも一番著者の趣旨を理解していると感じた。

 まぁなんだ、傲慢かもしれないけど、俺の直感と理論は間違ってなかったと感じたんだ。
 そんな思いを言語化出来ぬまま、どうにも心の収まりが悪くて深夜の散歩に出た。
 そして歩きながら自分の直感と理論を肯定できるんじゃないかと感じたのを自覚して、とても穏やかな心持になった。
 ぽつりぽつりと降ったり止んだりを繰り返す小雨の中、時折通り過ぎる車の走行音を遠くに聞きながら、静かな住宅街を寝静まった人々に思いを馳せながら歩いた。
 たまに光る雷を見て、今あの雷に撃たれて死ぬことが出来れば、それはそれで悪くない幕引きじゃないかなんて思っていた。

 いつものように適当に歩いていたせいで道が大きくずれて帰るのが遅くなったけどそれはそれ。むしろ吉と出たとさえ今は思う。
 雨を若干疎ましく思いつつ、なんか丁度良い歌無いかなと脳内の再生リストをザっと見ていると、ふと「ひぐらしのなく頃に」の"you"が浮かんできた。
 何気なく口ずさむにつれて猛烈に何かが沸き起こってきて、その懐かしさとも高揚ともいえる感情を手繰っていくと、前原圭一という存在を思い出した。

 そう、思い出したのだ。
 あれだけ好きだ、憧れてると言いながら。
 「ひぐらしは俺にとっての聖書だから」とかわりと本気で、冗談めかして言っておきながら。
 この長い迷路の終わり際にその存在を薄れさせていたのだ。
 まぁ、それも仕方ないのかもしれない。シンプルな答えも、辿り着くのは非常に難しいのだから。

 いずれにせよ思い出せた。
 俺の原点を。
 思春期真っ盛りの中学時代の俺に大きくぶっ刺さって、人生を揺るがすような感動を与えてくれた存在を。
 思い出せたとき、ストンと何かが嵌まった気がした。

 俺は前原圭一のようになりたかったのだ。
 別に全ての人を救えなくてもいい。
 ただ本当に大事な仲間にだけでも、その助けになれるような存在に。
 運命の袋小路だなんて塞ぎ込んで、進む道さえ見失った友に、「運命なんて、俺があっさり打ち破ってやるぜ!」と言って光を示せるような存在に。
 いつも皆の中心でくだらないことで笑って、でも本当は頼りになるって思ってもらえるような存在に。

 気付いてしまえばシンプルな答えだった。
 10年前から見つけていたはずの答えだった。
 ただこれがコアなんだって俺が理解するには、やっぱりこの十年は必要だったんだと思う。
 普通に囚われ、普通をかなぐり捨て、しっちゃかめっちゃか論理と哲学を振り回して己の世界を再構築したからこそ、シンプルな答えに行き着けたのだと、やっぱり思う。

 ならどうやって生きていくか、何を生業として稼いでいくかとかまでは具体的に考えが至らなかった。その前に家に辿り着いて、わりと満足感で眠い。
 ただきっと、この方向性で考えていけば、間違いはない気がする。
 以上だ。なんか多少詩的に表現が寄ったが、まぁそんな気分だったのだ。
 寝よう。

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